2011/1/11 翁付脇能を見る | 好雪録

2011/1/11 翁付脇能を見る

一昨日は京都観世会で、昨日は銕仙会で、それぞれの初能を見た。
どちらも折から翁付脇能が出て、毎年のことではあるが、色々考えることが多かった。
これは個々の批評の項に触れたいと思う。

儀礼であって舞踊・演劇ではない(とされる)〈翁〉と、神能という曲趣がら演劇性は稀薄ではあっても、やはりまぎれもなく舞踊性・音楽性を伴ったドラマたる脇能と、このふたつを続けて演ずるならわしは、考えてみれば実に特異である。思い巡らしてゆけば、能が今後どういう方向に進むべきか、その指針や問題点が明らかになるかもしれない。これは、「能楽史上、翁付脇能がどういう変遷を経てきたか」という研究成果を踏まえつつ、それ以上に、「現代人にとって、翁付脇能はいかなる有効な意味を持ち得るのか」という、観客ひとりびとりの問題意識によって把握されなければならないだろう。

私にとって、能・狂言を見ることは、これに接して愉しむことはもちろんだが、その成果や意義について思いを巡らすことも、同等以上の価値を持っている。

舞台を見て感動すること、なにがしかの感を得ることは、終点ではない。あくまで、出発点に過ぎないのだ。

2011年1月11日 | 記事URL

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