2011/1/21 油谷光雄さんのこと | 好雪録

2011/1/21 油谷光雄さんのこと

色々と書き掛けの批評があり、明日は大阪で文楽と能を見ますのでまたもや溜まる仕儀となりますが、週明けに一気に上網を済ませたいと思います。

今宵は国立能楽堂の狂言の会だった。大藏流が2番、和泉流が1番。

能を含まないこうした会を、昔から「狂言づくし」と称する。
もっとも、以前はあまりなかったものだ。
あったにしても家の会や一門会の体裁で、異流他派の立ち合いの会は、それこそ滅多に見なかったものである。

国立能楽堂の功績のひとつに、この狂言の会の定期開催が挙げられる。
これによって随分と珍しい出し物に光が当たり、また、異流他派の競演が定期的に楽しめるようになった意義は大きい。

油谷光雄氏(1945~98年)は、国立能楽堂の企画制作次長だった。

油谷さんはもともと狂言の研究者で、国立能楽堂創設当時から制作を担当。狂言の会の定期開催にも尽力されたはずである。そのほかの業績を評価され、観世寿夫記念法政大学能楽賞と並んで選定される催花賞を、没後に授与されている。

油谷さんはまことに個性的な方だった。
また、根は実に親切なお人だった。

私は、大学院在学中から現在まで長いこと、毎月発行される国立能楽堂パンフレットの解説文を執筆している。
(余談だが、これは実に勉強になる。初心の方にも分かるように、しかも、その場で読み捨てられる態のものではなく、自宅に持ち帰って頂き読み返すに足るだけのことを、比較的短い字数で纏めることは中々難しく、自らの能楽観を養う格好の修錬に繋がる。)
その初めての原稿を持参した時に、油谷さんから、もうコテンパンと言って良いほど覿面に指摘を受けた。

なるほど、文章というものは、独り合点では駄目なのである。
しかも、論や感想を自由に述べる自分本位の文章ではなく、人に読んでもらう解説の類は、よほど確かな第三者の指摘を受けない限り、自己陶酔の弊に陥っても気づかないものだ。

油谷さんはその時、こう言った。
「中学生がはじめて能や狂言を見ても参考になるような、分かりやすい解説文を書いて下さい。」
蓋し、至言であると思う。
今もなお、私はこれを心に留め、こうあろうと努めている。

忌憚ない意見を雨あられと浴びせかけられて、いささか茫然としている私に向かい、
油谷さんは、「それでも、文章に力がある。今後もよろしくお願いします」とおっしゃり、
もう次回からは、私の原稿に注文をつけることは一切なさらなかった。

亡くなった油谷さんは、いま生きておられても、まだ66歳のはずである。

国立能楽堂の創設以来最大の名企画であるこの「狂言の会」に足を運ぶたびに、
私は油谷さんのことを思い出し、心の中でちょっと襟を正すことにしている。

2011年1月21日 | 記事URL

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