2011/1/1 ノイヤールスコンツェルト | 好雪録

2011/1/1 ノイヤールスコンツェルト

居室に置いていないせいか、私は普段ほとんどテレビを見ない。

必要な藝能番組は録画して保存、リアルタイムではまず見ない。だから、昨年1年間を通じて総視聴時間は、恐らく合計3時間にも満たないだろう。

そんな中で、元日の夜恒例のヴィーンフィルハーモニカー・ノイヤールスコンツェルト(ドイツ語表記を真似ました)は、全部は見ないにせよ、生中継ということもあり、都合によって半分ほどは毎年聴き入る。つい先刻も、フランツ・ヴェルザー=メストの清新な棒捌きを愉しんだ。

今年の本プログラム最後に置かれたワルツ〈わが人生は愛と喜び〉は、兄・ヨハンが一目置いたヨーゼフ・シュトラウスの作曲。この主旋律は映画〈会議は踊る〉(1931年)の主題歌として著名な一方、宝塚歌劇で今も歌い継がれる〈ブーケ・ダムール〉であり、同名レビュー1932年月組初演時の門田芦子・明津麗子らによる録音が残る。戦前以来、日本人にゆかりある名曲だ。

戦災で焼け残ったヴィーン樂友協会の黄金樂堂は、柱も含めて木を多用しているため、場所によっては床など昔の田舎の木造校舎ほど古び擦り減っているが、音響は本当に素晴らしい。平土間は舞台からよほど低いとはいえ、音が頭上を通り過ぎてしまうことがない。初めて聴けば真実、ホール全体が鳴り響くことを実感する。
上部のガラス窓から光がふんだんに差し入り(フィルハーモニカー定期演奏会は基本的に日中開催である)、雲の去来につれて黄金色に埋もれた場内の陰翳が千変万化する。
これは、東京だと中野の梅若や杉並能楽堂の舞台に外光が降り注ぐと、能装束の色彩は申すに及ばず、役者の肌の色が実にうっとりするほど美しいのと通じている。ことに、屋内深く差し入る冬の陽は格別で、こうした天然光を効果的に採り入れた能楽堂がもっとあれば良いと思う。

ノイヤールスコンツェルトの恐いのは、生中継なため、場内の観客が否応なしに全世界のテレビに映ってしまうことである。

一時に比べて日本人の聴衆はだいぶん減ったものの(入場券の高価なこと歌舞伎座さよなら公演の比ではない)、本日もちらほらと見られた。中に、「こりゃ体調でも悪いのかな?」と思われるほど、椅子の背に首を預け、思いきりふんぞり返った姿。

これはいけません。

「邯鄲の歩み」という、『荘子』から出た言葉がある。「格好の良い歩き方を真似きれず、自己の本性を失うのは無意味だ」という教訓だが、私は、歩き方も、立ち方も、座り方も、自然のままではダメ、正しく習ってこそ身につくものだと思う。

よく学生が、しだらない格好で椅子からずり落ちんばかりに座っている。「なんでそんなみっともない格好をしてるの?」と訊くと、決まって「楽だから」と答えが返ってくる。尻の一部が辛うじて椅子に引っ掛かっているだけのような格好が、彼ら彼女らにとって本当に「楽」なんだろうか?

もっとも、能の下居姿で片膝立てるのは中世日常の座り方だし、束帯姿の男雛や天神の尊像は足裏を合わせる胡座式だ。これら、われわれから見れば苦痛以外に思われない座り方も、馴れれば「楽」だったのだろうか?

明治以降の西欧化に伴う日本人の身体の変質については、多くの考察がなされている。が、近代以前の日本の生活文化は、何と言っても「座る文化」である。

「座り方の身体論」とか「制度と座り方」というような示唆的な論考があったら、ぜひ読んでみたいものである。

2011年1月 1日 | 記事URL

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