2011/3/15 公演中止 | 好雪録

2011/3/15 公演中止

14日に予定されていた計画停電は、発表どおりすべては敢行されず一部にとどまった。
始発から鉄道の運休が相次いだが、大半が深夜の内の決定とて、
知らぬ間に出勤時間を迎えた人が多く、朝方は随所の駅頭で大混乱を見た。

私は新橋演舞場昼の部再見の日だったので、なるたけ混まなそうな路線を選び早めに家を出たから、さほどの苦労はなかったが、劇場に入ってみればやはり空席が多い。ほぼ半分の入りにとどまったのではないか。
入場券を持ってはいても、足の便はなし。
断念した方がどれほど多かったかと思う。

13日、三宅坂・国立劇場では予定されていた舞踊公演が実施されたものの、
一転、14日午後今月末まで「国立劇場系主催公演一切とりやめ」の方針が決定された。
能・狂言は興行形態が身軽ゆえまだしも、大劇場で公演中の歌舞伎も中断
外来キャストを組んで今週プレミエのオペラ〈マノン・レスコー〉は全日程を中止だから、影響は甚大だろう。

大げさな話でなく、まさに戦後未曾有の惨事・変事の渦中、已むを得ない処置と理解される半面、ちょっと疑問に思わないでもない。
そもそも、舞台藝術とは、よほど不可抗力の支障がない限り、
いつ、いかなる時にも、予定の舞台を粛々と勤めることに大きな意義がある、ともいえるからだ。

よく知られたことだが、能の舞台では、たとえ役者が突然倒れても演能は中断されない。
後見が即座に立って、終わりまで代わるのが古来の掟である。
粟谷益二郎が〈烏頭〉で斃れ、後藤(観世)榮夫が舞い継いだ例。
龜井俊雄が〈朝長 懺法〉で倒れ、嗣子・忠雄が打ち継いだ例。
戦後に限っても、こうした悲壮な事例がいくつかある。
生死に関わる場合だけでなく、たとえば子方が気分を悪くして舞台で粗相があっても、同様に能は中断されない。

非人道的だと否定的な意見も当然あるだろう。
が、私はこれは尊い習いであり、心がけだと思う。

歌舞伎では、三代目中村雀右衛門、六代目尾上梅幸、七代目澤村宗十郎は舞台姿で倒れ、死に至った。
だが、芝居がそのまま何事もなく続行されるということはない。幕を引いて、それで終わりとなる。
11日には、新橋演舞場昼の部の〈御所五郎藏〉で、菊五郎と吉右衛門とツラネの応答の際に地震発生。
2人は平然と芝居を続けたものの、やはり一度幕を引き、改めて口上を述べて、その日は打ち出しとなったという。
興行のありようが異なるので一概には言えないが、もしこれが演能中だったら、そこで能が中断したまま演了せず、ということにはならなかったのではないか。

私は、能と、歌舞伎や他の舞台藝術と、両者を単純に比較するつもりはない。
ただ、その中で能が、「いつ、いかなる時にも、予定の舞台を粛々と勤める」厳しさと諦念に支えられてきた事実は、やはり、存在する。

これは能役者のみのダンディズムではない。
役者と観客とが共有する、「舞台人の覚悟」の問題だと思う。
そして、それは必ずしも、能を精神主義の権化として崇めたり、必要以上に求道的な聖域として別格視することに拠るのではあるまい。

つまり、こうだ。
「舞台人は、どんな場合でも舞台に立つことでしか、そのアイデンティティは保障されない」という、あたりまえのことに裏打ちされている「舞台人の覚悟」の問題だと思う。

昭和天皇の崩御前後に、自粛騒ぎが社会問題となった。
明治天皇の時にもあったことで、百鬼園の随筆に、かなり経ったその年の暮れ(7月30日崩御)、正月の縁起物・裏白の葉を売っていた男を巡査が平手打ちした目撃談がある。

ただし、常にそうではない。

それから14年経った大正天皇(12月25日崩御)の際は「歳暮雑踏の光景毫も諒闇の氣味なし」と『斷腸亭日乘』昭和元年12月26日の条にある。

もちろん、時と場合によってこうした反応はいろいろで、ひとつの記録が時代のすべてを映しているわけではない。
つまりは、「いろいろある」のである。

情報網が発達しすぎた現代では、ともすると、ある風潮が特段の根拠もなしに瀰漫、いつの間にやら「それが当然」という空気が醸し出されやすい。
いまも、これからも、随所でそうした問題が顕在化することだろう。

地震の被災地に知る人がある方は、むろん、気が気ではない日々を送られているに相違ない。それはもう、同情にあまりある。言うに言われぬ胸中とお察しする。

だが、そうでない多数の人々がテレビに釘付けとなり、安っぽい悲劇ドラマ仕立ての内容薄い垂れ流し報道や、地震や津波について机上の分析を楽しむようにも見えかねない態度の「専門家の解説」を是とし、これに耳目を傾け社会活動を控えることを善しとして、果たして健全であろうか?
日常生活に支障のない範囲では、もろもろの制約を自己の工夫で凌ぎながら日々の生活を淡々とこなし、見るべき聴くべき舞台にも足を運び、そこから回り回って経済活動を活性化させるのも、広い視野で見れば復興支援に繋がるのである。

劇場の開場には、節電その他の問題も確かに存在する。
と同時に、その日その舞台に自己を問うことをもって生業とする、あまたの舞台人・音楽家・藝能人もいるのである。

われわれがテレビの前に寝転んで一喜一憂していても、何の足しにもならないことだけは確かだろう。
少なくとも、「何となくの風潮」「まことしやかな正論」によって、舞台活動という藝術行為・経済行為が、根拠を欠く停滞を兆さないことを願いたいと思う。

2011年3月15日 | 記事URL

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