2011/3/18 渡航中止 | 好雪録

2011/3/18 渡航中止

震災後、日々に錯綜する情報の数々。
3月とはいえ厳寒の被災地を思うに、命ながらえた方々のお身の上を、ただただ慮るばかりである。

東京も湾岸一帯の液状化による被害は甚大で、平時ならばこれだけでも大事件である。
ただ、首都の大部分は今のところ何事もなく、ちょっと工夫しさえすれば不自由もない。

そうした東京でも、私の周囲では、神経を疲れさせている知人が何人もいる。
「夜、2~3時間で目が覚める」「何でもないことに涙を催す」等々。
彼ら・彼女らは、地震で特段の災難に遭っているわけではない。
日々のテレビ報道に接するうち、多大な不安に駆られたということらしい。

確かに、福島の原子力発電所事故は現在進行中の一大事で、今後の予断を許さない
かく言う私ですら、国家の存亡に関わるこの凶事には、さすがに心安らかでいることはできない。

これを乗り切るためには、ただもう、正確な情報のみを選択、確実な客観的知識のみを駆使して、みずから現実を判断する以外にないだろう。
放射線の被害を考えるに用いる単位「シーベルト」にしたところで、ミリとマイクロの比率を、どの程度の人々が正確に認識していることだろうか?

いつかも述べたように、私はテレビをほとんど見ない。
地震発生後の今もそれに変わりはないが、たまたま目にしても、事実は事実として明快に、また、不要な不安は極力除去するような、冷静な非感情的報道は稀である。
深刻ぶったアナウンサーの煽情的口調に接していれば、視聴者もまた判断力を失うに相違ない。

21日からヴィーンとミュンヒェン回る予定だったが、搭乗予定のオーストリア航空の離発着が大いに乱れ、しかも帰路が欠航になりはじめたので、余儀なく渡欧は見送ることとした。

今回はドイツのミュンヒェン・バイエルン国立歌劇場でグルベローヴァ主演の〈ルクレツィア・ボルジア〉を聴くことが主な目的だった。

1946年生まれにも関わらず、現在も第一線で活躍するエディタ・グルベローヴァ
超絶的高音域を駆使するコロラトゥーラ・ソプラノとしては、オペラ史上異数の奇蹟である。
もちろん、その歌唱スタイルに対する異論は考慮に入れるべきであっても、舞台人として稀有な偉人であることに疑いはない。
今秋来日して歌う予定の〈ロベルト・デヴリュー〉は、オペラの中で珍しい「老女物」の一曲であって、先年ヴィーンで実際に聴いたが、実に鬼気背に迫る名演だった。お志の方には一聴をオススメする(もっとも、来日公演が中止されないことを祈る......)。

今回驚いたのは、バイエルン国立歌劇場の完璧なサーヴィスぶりである。

ウェブサイトで予約してからわずか3日後、航空便で拙宅へ切符が到来した早業に驚いたものだったが、先刻ダメモトでキャンセルの照会したところ、電光石火すぐさま返信あり。
「今次、貴国の多大なる災厄の前には、キャンセルは何の問題でもございません」として、手元の切符返送は無用。
決済済みのカード口座に、既に満額返金の処置完了。

あまりの対応の美事さ、言葉もない。
後日、無理を押してでも再訪したい気になるのは当然である。

こうした融通無碍で心の籠った処理が、果たしてわが国の諸劇場にできるだろうか?

2011年3月18日 | 記事URL

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