2011/3/21 昨日今日 | 好雪録

2011/3/21 昨日今日

本日はお中日だというのに、雨天にこと寄せて墓参にも赴かず籠居。
美事な満月だった昨日は、オウム真理教による地下鉄サリン事件から16年目の追悼日。

むかしは春分の日と秋分の日と、NHKテレビで「彼岸会法要」なる特別番組を組んでいた。諸本山厳修のさまを静かに中継放映する、ゆかしい習いだった。

能・狂言の放映も、いわゆる「旗日」の朝と決まっていたものだ。
私が能に魅入られたきっかけは、昭和57年3月21日のテレビ放送〈隅田川〉である。

その日、何の心用意もなくチャンネルを回して圧倒された、友枝喜久夫と寶生彌一の舞台だった。
思いも寄らぬ名演に感激した言葉が、早くも櫻花開き初めた麗かな一日のありさまとともに、つたない日記に記し残されている。
ちょうど、29年前の今日である。

生まれてからずっと東京23区内で生活してきた私だが、高校生・大学生の頃には今ほど、あるいは殆ど普及していず、現在とのギャップを痛感するものが4つある。

コンビニ。コピー機。パソコン。携帯電話。

前者2つは30年前にもあるにはあったが、これに依存する度合いは格段に低かった。
コンビニはまだ点在する程度であり、使いはしたものの1枚3~40円のコピーをほしいまま濫用するのは無理だった。
後者2つに至っては、こんにちこれほどまでに普及すると、当時、いったい誰が予想し得ただろう。

これら4つを欠いた生活は、現代の都市部の若者にとって考えられないに相違ない。
そして、コンビニを除いた3つはどれも「情報」に関わるツールである(もしかしたらコンビニもそうかもしれない)。

古典文学に携わる身として、むかしいまの「情報」のありようを思い比べるにつけ、考え込んでしまうことがどれほど多いか。

「大きなる厨子一よろひにひまもなく積みてはべるもの、一つには古歌、物語のえもいはず虫の巣になりにたる、むつかしく這ひ散れば、開けて見る人もはべらず。片つ方に書ども、わざと置き重ねし人もはべらずなりにし後、手觸るゝ人もことになし」。
『紫式部日記』の一節である。

いずれ大型ではあっても、居宅に据えた厨子(ブックチェスト)は「ひとよろひ=1対=2基」。片方は「わざと置き重ねし人」=亡夫の、「書(ふみ)」=漢文蔵書、を納めたものと言うからには、和書を主体とする紫式部本人の調度としては1基を数えるのみだ。

松坂城址に移築現存する、本居宣長の旧宅をご存じだろうか。
大人53歳の時に成った、世に名高い書斎・鈴屋は、わずか4畳半の狭さである。

2人とも、膨大な蔵書を誇った形跡はない。

物語文学史上かつてない上果を得た源語54帖の大作家。
筑摩書房版全集に累々全23巻を数える一代の碩学。
それぞれの文業の場、思索の場を考えるにつけ、私は畏敬の念を通り越して、ほとんどそら恐ろしい思いに駆られる。

この両巨人の例に徴すまでもなく、蔵書が多くないことと、捜書・読書の刻苦とは、まったく別である。むろん、大切なのは蔵書量ではなく、後者である。
学識も、情報のひとつである。
つまり、どのようにコレクトするかではなく、どのように取り込むかが、情報に対する姿勢の要諦だ、ということだ。

とうぜん、「取り込む」ことは、「捨てる」ことと同義である。
同時に、「取り込む」「捨てる」ことは、周到に「吟味する」ことにほかならない。

コンビニ、コピー機、パソコン、携帯電話が当たり前の存在になったいま、われわれの情報を吟味、取捨選択する能力が、それに伴い充分に発達したと、はたして言えるだろうか?

つい先だっても、原発事故に伴い、「福島・大熊町の双葉病院で患者置き去り」という、ある意味での虚報がなされた。その虚実についての情報を収集、整理した意見記事をたまたま目にし、なるほどと思うところがあった。
この論者について私は詳しいことを知らない。議論されるべき前歴の持ち主らしいが、ことこの記事に関する限り労作と認められる。マスコミによって一方的に発信されがちの社会問題について委曲を尽くした即時のとりまとめや追跡は、なかなかできるものではない。

新聞、雑誌、あるいはウェブ上のさまざまな「情報」に接するにつけ、ただ受身でいることがどれほど危険であるか。
同時に、確固たる自覚と自省を伴わずにただ「発信する」ことが、結果としてどれほどの混乱を生むか。

天災・人災で揺れ続けの世上に比べてまったく世界を異にする、いわば夏炉冬扇の古典劇評論の分野で私見を綴る本頁にしても、「発信する」に足る充分な自覚と自省とが伴っている、否か。

常にわが身を糺さずにはいられない、と思う。

2011年3月21日 | 記事URL

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