2011/3/31 六世中村歌右衞門十年忌祥當 | 好雪録

2011/3/31 六世中村歌右衞門十年忌祥當

本日は故人歌右衛門の祥月命日である。

10年前の今日、瞑目の午後6時47分は、万朶の櫻花に白雪の降り積む荒天だった。
深更に至り雲吹き払い、磨かれ出た霽月の絶景を覚えている東京の人も多いだろう。

去る27日、日比谷・東京會舘で故人を偲ぶ催しが持たれた。
いずれ内輪の会ではあったが、それだけに追遠の心には深いものがあった。

感動的だったのは、中村芝翫の献盃の辞。
「生まれてからずっと、祖父(5世歌右衛門)の亡くなるまで、片時も離れずひとつ屋根の下で暮らしましたから、それこそ、叔父(6世歌右衛門)の思い出は数限りなくございます」。

その後は別々の藝派に属し、1967年の芝翫襲名まで道を異とした事実は芝翫本人が述べたとおりだが、ここには故人と芝翫のほか何人にも伺い知られぬ、深い心が籠もっている。
そして、その「心」をリアルタイムで知り、本当の意味で理解できる者は、当の芝翫のほか、その日の出席者の中に誰ひとりいないのである。
「いつも『おにいちゃん』と呼んでおりましたから」と断って、盃を挙げて遺影に向かい親しく呼び掛けた今年83歳の芝翫の声音は、実に温かかった。

当日の圧巻が故人の映像である。
恐らく1979年9月歌舞伎座、「第2回勘十郎の会」の記録映像かと思う。2世藤間勘祖との長唄〈二人椀久〉が、松山太夫の出から映し出された。
2世勘祖すなわち6世藤間勘十郎の藝は、徹頭徹尾、影に徹した黒衣の凄みだった。それは自身の仕勝手を最大限に考慮して振り付けられた一人立ちの新作でも変わらぬ特色だった。
この〈二人椀久〉でも、まさにそうである。
傾城姿の歌右衛門に並び立ち、素の紋付袴で踊り進める勘十郎は、歌右衛門の動きにピタリと付いたまま一定の距離感を保ち、決して離れ去ることはないし、また、鬱陶しく絡みもしない。

あたかも、勘十郎は歌右衛門の「影」だった。
「影」が身に添うのは当然のことである。
が、生きる人が「影」になりきるなど、ふつうは決してできない。
その、決してできないことを、勘十郎は造作もなくやってのけている。
また、そうした勘十郎を、歌右衛門は当然の如く受け止め、受け入れ、水も漏らさない。

政岡にせよ、戸無瀬にせよ、定高にせよ、玉手にせよ、歌右衛門という人は刃を伴う役に異常な親和性を見せた。
勘十郎は、生きる刃のような舞踊家である。
こうした研ぎ澄まされた刃のような「影」が伴っているだけに、この時の歌右衛門はどんなに踊り込んでも興の尽きることを知らない、藝に打ち込み時を忘れる風情であった。

これは、雀右衛門と富十郎の代表傑作〈二人椀久〉とは、まったく別物である。
むろん、振付の問題ではない。
また、単純な優劣の問題でもない。

勘十郎と歌右衛門の〈二人椀久〉は、あたかも、歌右衛門が肉身、勘十郎が霊体であるかのような感触である。
これは、ある意味で正しい。
現世で正気を失った椀屋久兵衛にとって、幻想の中の松山太夫は、まさに「目前に存在する女」なのだ。

花道の切穴に歌右衛門が消えたあと。
幕切れの勘十郎は、まさにぬけがらだった。
実体を喪い、影だけが取り残された寂寥。
2人の名手が藝の限りを尽くして最後に表わしたのは、こうした静かな虚無の世界だった。

この時の映像は私的な記録で、それだけに、テープの劣化も相応に見られた。
勘十郎もそうだが、歌右衛門ほどの役者となれば、現在残された映像はすべて、後世への貴重な資料である。

その日は宴席とて私はメモを取らずに見て、ここでも詳細な分析は避けたが、映像を見てものを語る際、ほんとうはこうした印象批評的な言説のレベルにとどめたくはない。
批評とは現実の舞台に接してのみ最終的には価値を持つものだということを100%承知であえて言うが、映像や音声の資料に接し、これを詳細に分析する批評がいっぽうであっても良い。

たとえば、文楽について本気で語ろうとする者が、山城少掾や3世清六の録音を聴き込まずに済ませることはできない。いくら住大夫や簑助の舞台に熱心に足を運んでいるとしても、そうした手間を惜しむ怠惰な人間にまことの藝を語る資格はない。
映像や音声ならではの限界の中に、映像や音声なればこそ可能な客観分析が可能なのである。
われわれはマリア・カラスの残したあらゆる録音を聴き、彼女の歌うあらゆるフレーズについて克明に分析することができる。楽譜や歌詞の深意が歌唱にどう反映されているか(または、いないか)を詳しくたどり、藝術に対する真摯な反省を後世の者に促すのが、偉大な演者の残した録音・録画の持つ意義である。

マリア・カラスの場合、スタジオ録音はもちろんのこと、ライブ録音でも、彼女のキャリアの中で正しく確認される最古の記録・1949年ナポリでの〈ナブッコ〉以来、素人がラジオから採ったとおぼしき音の貧しい実況録音が、LPレコードの時代には「海賊版」と称して怪しげな流通に乗っていた。それが、著作権保護期間の満了等の事情で、現在は大レーベルからの正規盤として堂々と発売され(ただし大抵は音源が同一なので音質は改善されない)、現在では現存するカラスのオペラ録音はほぼ発掘され尽くし、その大半が容易に手に入る。
古典藝能のジャンルでも、8代目桂文樂の映像記録が集成・発売され、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。

むろん、オペラや落語のように多数の購買者が見込めるものと、能や歌舞伎や文楽のように必ずしもそうではないものと、現実を考えると一概に比較はできない。著作権や肖像権の問題は大きく、落語のような個人藝では簡単なことが他ではそうでもない、という事実もある。

しかし、歌舞伎の後世のためにあえて望みたい。
映像版『6世中村歌右衛門全集』が、早期に編まれる必要がある。

歌右衛門の舞台を知らない世代の観客が、それらの記録を正しく見て取り、正確な分析と思考のもと、歌右衛門の功罪を改めて考え直すことが待たれる。
これは、私を含めて、その舞台を理解した「つもり」になっている、歌右衛門と時代を共有し得た者にとっても、格好の反省の機会となるだろう。

甘やかな伝説の霞に易々と紛れ去るほど、6世中村歌右衛門は単純な役者ではない。
私にとって「大成駒」は、今でも懐疑し格闘すべき価値基準であり、負けてはならぬ思考の対象である。


2011年3月31日 | 記事URL

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