2011/3/6 能〈花軍〉の隠喩 | 好雪録

2011/3/6 能〈花軍〉の隠喩

ご無沙汰が過ぎてしまい、ご興味の向きには洵に申し訳ございません。
やっと余暇が取れますので、1月以来の書き溜めはぼつぼつ上網してゆきたいと思います。

今日は横浜能楽堂で珍しい能〈花軍(はないくさ)〉が上演された。
大正8年(1919年)以来だと言うから、文字どおりの復興上演である。

『謡曲大観』にも入っていない珍曲ゆえ、詞章のプリントが配布された。
横浜能楽堂は常はこの用意を欠くから、いわば破格の厚意である。
鑑賞の手助けになった人も多いと思う。

〈花軍〉に限らず、参考曲・番外曲の詞章を読むには、一工夫が要る。
1928年に出版された日本名著全集江戸文芸之部第29巻『謡曲三百五十番集』は、著名な番外曲を含んで携帯にも至便。これを古本屋で捜して愛用する人は多いだろう。ここに〈花軍〉も入っている。
だが、『謡曲三百五十番集』の〈花軍〉は大幅に短縮された略本で、原作の面影を半ばも留めていない。
本日の上演、すなわち金剛流復興版は、この略本とほぼ同一本文だった。

観世長俊の原作〈花軍〉を読むには、これ以外に拠る必要がある。
私は、とりあえず手近にあった國民文庫刊行会・大正2年12月第3版(明治44年3月初版)の『謡曲全集』下巻を繙いた。
ここには番外曲を主とした200番が収録されている。〈花軍〉はそのうち後篇、元禄板本の「三百番之外百番」の巻之十八に入っている。これが完本の〈花軍〉である。

ちなみに、今では著名な〈綾鼓〉〈求塚〉〈胡蝶〉、さらに〈實方〉や完曲〈枕士童(枕慈童)〉、またこの収録本文が現存最古かつ唯一の伝本である〈鐘巻〉も、元禄板本「三百番之外百番」のお仲間だ。最も頻用された正篇100番に比べて番外の「三百番之外百番」、つまり3~400番に配列される曲は、元禄当時、こと謡物としてに限ってもだいぶん「遠い」ものだったに相違ない。
以下、精緻を期すならば〈花軍〉の諸本を校合してから論ずベきだが、いまは暫く完本〈花軍〉の詞章としては『謡曲全集』本を用いて話を進める。(引用詞章の宛字等は適宜改変する)

前場のワキは、花を求めて伏見の里に足を運ぶ。この設定は完本も略本も同様。
略本では「翫び候は花の會にて候」と説いて、ワキ・都人が立花(たてばな・りっか)の趣味を有していることを暗示。
完本ではもっと突っ込んで、「このたびはそれがしが花の頭役に当たりて候」と、「立花講」のような趣味サークルの「頭役」=催会責任者という設定で、是非とも名花を集める必要を補足しているのが面白い。

呼び掛けで前シテの女=女郎花の精が出、問答の後、「最初に女郎花をお手折り下さい」と申し出るのは変わらない。
異なるのは、その前にワキの挙げる花々の名である。

略本では、このあたりの花のありかを女に訊ねると、女はまず「伏見の翁草」と異名ある白菊(これは番外曲〈伏見〉でも知られている趣向)を示しながら、「これを折るならば、それより先に女郎花を」と勧める。ワキはこれに従わず、「所の名草ゆえ、まず白菊を」と主張するので、女は心証を害した態で「夢中にまみえ花軍を。始めて白菊打ち散らし。恨みのほどを晴らさん」と言って消えてゆく。
こう略述していてもずいぶん乱暴な花の精だが、これが略本の展開。

完本はこれだけではない。
シテが呼び掛けて出てすぐ、ワキを花のありかに導く前に、女のほうから「そのほか多き草花の中にも。取り分けいづれを御賞翫し給ふ」と問い掛ける。この質問は、略本では省かれている。
ワキは「まづ菊仙翁花水仙花は。千種の花のその中にも。ことさら賞翫し給へば。立花にもひとしほ類なき」と答え、そののち案内されて、略本と同じ、女郎花と白菊の折り争いとなる。

この問答が、後場の「花いくさ」の布陣に対応するだけでなく、さまざまな問題を孕むのである。

では、肝腎の「花いくさ」はどうなっているか。

今回の略本では、本舞台に女郎花?(天冠の立テ物と手持チ枝は黄花でも麒麟草のようだったが女郎花と見なさないと能にならない)と杜若。橋掛リに牡丹と白菊と黄菊。これらがすべて女姿で対峙する。むろん、本舞台は防ぎ手、橋掛リが寄せ手の設定だ。
この2対3で合戦のカケリを舞うと、後場で大小前に出した作リ物から老体の後シテ・翁草の精が出現し、仲裁する。

でもこれは、ヘンではないだろうか?

確かに、略本の後場の詞章には「さても草花の大将に。牡丹は情けも深見草」とある。
だが、なにゆえ牡丹は白菊と黄菊を従え登場、女郎花と敵対するのだろう?

今回の前シテ=女郎花の精は、「夢中にまみえ花軍を。始めて白菊打ち散らし。恨みのほどを晴らさん」と言い捨てたのだ。菊と女郎花とが敵味方に分かれて対戦するのは正しいが、合戦そのものは「恨みのほどを晴らさん」と誓った女郎花が寄せ手として仕掛けるべきだ。
だが舞台では、寄せ手が牡丹。防ぎ手が女郎花。これはおかしい。
そもそも、花王たる牡丹の大将が寄せ手であるならば、女郎花軍が寄せ手として担ぎ出すべきなのではないか?

実は、完本ではちゃんとそうなっているのである。

完本の後場では「寄せ手の草花の大将には。牡丹の花を先として。これは情けも深見草。女郎花に契り淺からず。されば大将承って。花やかにこそ鎧ひけれ」とある。
「女郎花に契り淺からず」は略本が削除してしまった言句。深見草=牡丹が、女郎花に加勢して大将を買って出ているのは、完本では疑いがない。

完本ではこれに続き、「ませの内なる白菊」とある。寄せ手の女郎花軍を待ち受ける防ぎ手の「ませ=垣根」の内に白菊を配し、それに向かって女郎花軍の大将=牡丹が駒を進める。防ぎ手からは「われ仙翁花と名のり駆けければ」と応戦、この牡丹と仙翁花の対決から合戦の幕が切って落とされるのだ。

略本の舞台役割の花名は大幅に省略・改変され、完本と似て非なるものになっている(後述するように極めて重要な「仙翁花」は略本では登場せず、今回の金剛流復興版で舞台に出た「杜若」は完本・略本どちらも詞章の上には言及されていない)。
また、略本にはなく完本に見える花でも、どちらの陣営に属するか判然としない花もある。
そうした中、確実に読み取れる範囲で、双方の趣向を纏めると、こうなるだろう。

★略本:【寄せ手】牡丹・白菊・黄菊VS【防ぎ手】女郎花・杜若←翁草の仲裁。
★完本:【寄せ手】女郎花・牡丹VS【防ぎ手】仙翁花・白菊←翁草の仲裁。

考えてみれば、「翁草=白菊」なのだから、参陣の白菊とはお仲間。一方に同類を抱えた仲裁にモノスゴク贔屓色が濃厚になるのは当然で笑えるが、実は、そこにこの曲の趣意があると思う。

さきほど、完本前場のワキのコトバを抄出したが、そこにこうあった。
「まづ菊仙翁花水仙花は。千種の花のその中にも。ことさら賞翫し給へば。立花にもひとしほ類なき」。
ワキはまず、立花に大切な花の中でも、この3種を最重要として特記する。
つまりここでは、後場で防ぎ手の先陣を切る仙翁花と並べて、菊と水仙を挙げている。
これらは同類だから、後場では菊と仙翁花のみならず水仙花も等しく同軍=防ぎ手に所属しているはずである。

実は、この3つの花々、どれも男色の象徴なのである。

菊がそうであることは、『太平記』から発した能〈枕慈童(菊慈童)〉から、能楽愛好者にとって常識である。

仙翁花(中世当時の発音は日葡辞書で「センノオケ」)は長らく文献上の幻の花とされ、実物は絶えたと思われていた。が、近年、島根県で発見されて培養が進み、3~4年ほど前から山野草の販売店で容易に手に入るようになった。私はこの火焔の色に燃える夏花が好きで、拙宅にも植えてある。今月に入っての暖気、ちょうど芽が出はじめたところだ。
室町時代の五山文学におけるこの花の深い意味、ことに男色の象徴性については、花園大学の芳澤勝弘氏に 「仙翁花(せんのうけ)~室町文化の余光」というたいへんな労作があり、ウェブ上に閲覧公開の用意もなされている。 ご興味の方は是非とも学恩に浴されたい。

水仙がギリシャ神話のナルシスであることは周知のところ。この花の、わが国での古典的な喩については、丹尾安典氏『男色の景色~いはねばこそあれ~』(新潮社)でも分析されている。

むろん、花の喩とは単純ではなく、解釈が多岐に亙るものだ。芳澤氏が前掲論文中で言われるように、「特別の意味をこめて(つまり、そのような詩詞を添えて)贈るならば、どの花もすべて『男色の花』になる」ことも考慮する必要がある。

とはいえ、菊と仙翁花と水仙と、かくまで「役者が揃う」のは稀有なこと。
この能でこれらを、「男色の花」と一括せずにいるほうが無理、というものだろう。

「女郎花」は、実に、これらの花々と対決している。
名詮自性。女郎花=女性の象徴、と『古今和歌集』の昔から決まっている。

つまり、能〈花軍〉は、男色と女色との優劣を競う、優雅な性愛のドラマなのである。

こう解すれば、今回のように後場で「翁草」以外は全員が女体、ではおかしい。
女郎花と牡丹は凄艶な女。仙翁花と白菊は美麗の稚児。
男女対決の「花いくさ」として演出する必要があるだろう。

さらに、ここにはカラクリがある。

既に「菊仙翁花水仙花は。千種の花のその中にも。ことさら賞翫」と言い放っているワキは、男色方に加担する価値観を有していよう。女郎花を勧められながら肯わず、白菊を選ぼうとする意志も、これを補強する。
当時、立花は男たちの社交であり、女のものではなかったことも考慮しなければならない。

また、仲裁役が翁草=白菊とあれば、そもそも菊と対決する女郎花方に、どう考えても分があるとは思われない。
略本に見る女郎花の抗弁はヒステリックだが、完本でも「恨みのほどを晴らさんと。くねる姿も女郎花の。くねる姿も女郎花の。假に現はれ來たりたり。今宵の月に待ち給へ。必ず恨みの花軍。夢中にまみえ申さんと」と、「恨み」の語を2度も反復(略本では1度)、より屈曲した詞章が凄まじい。

恐らく作者・長俊(1488~1541年)は、戦国時代の男色盛行を背景に、表面上は双方を円満に取り収めつつ、深層では「男色に凌駕される女色」の価値観で能全体をまとめたに違いない。

略本の合戦は綺麗ごと、むろん怪我人(正しくは「怪我花」か......)は出ないが、完本では「宮城野の小萩」が「鷄頭花」と対戦する。「無殘や小萩が諸膝流れてかつぱと轉べば。そのとき鷄頭花。勝鬨作つて勇みのゝしるありさまかな」と、流血の惨事である。
この両者の所属は明示されていないけれども、どう考えても、鮮紅色で花状も猛々しい鷄頭は男=身体を張って稚児を守る念者、これに対するささやかな小萩は女、と見る以外あるまい。

やはり、ここでも女色は劣勢なのである。

こう考えると、今回の金剛流演出が、詞章の点からも設定の点からも、多くの点で間違っていることが分かる。
女郎花と牡丹とを対決させた改作時点で、すでに略本は完本を誤読しているのだ。
(ちなみに、略本である『謡曲三百五十番集』本〈花軍〉後場の注記「シテ牡丹シロアカ菊」も、黄と赤と色こそ違え、牡丹が菊を同軍に従えて登場する点、今回の金剛流版と同じである。)

100年ぶりの復興には労苦が伴うだろうし、ことに今回は金剛流と申し合わせのないはずの下掛リ宝生流のワキだったこともあり、相応の準備を要したものと思う。その点、関係者の努力は大いに評価したい。
だが、それはそれとして、能としての真の魅力や価値を考えるのが復興上演の第一の意味だと、やはり私は思う。

100年ぶりといえば、力になる伝承の実体はほとんど失せていよう。
それならばいっそ、演劇的誤読によって価値のない略本を捨て、達意の完本を復興するのが、〈花軍〉の真価を問うにはふさわしいものと思われる。

今回の上演に接する限り、〈花軍〉は二流以下の能と評するに留まる。
けれども、完本を読む限り、決して無価値の作品ではない。むしろ、大いに興味深い能だと思う。
以上、いささか望蜀の思いとはいえ、正直な感を述べてみた。

能〈花軍〉の隠喩について、皆さんはどう思われるだろうか。

(ちなみに2000年9月に大阪で、大倉源次郎氏によって改訂版〈花軍〉が上演された由だが実見の機を逸し、その時の使用台本も読んでいない。比較論評できないのを残念に思う。)

2011年3月 6日 | 記事URL

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