2011/4/18 落花狼藉 | 好雪録

2011/4/18 落花狼藉

新年度の慌ただしさに紛れ更新もままならぬうち、早くも若葉から青葉に至らん時候。
漸く暖気安定したようでも、東京は何やら肌寒いような日が続いております。

ことさら花見の習慣もない身ながら、草木が好きなので、花の推移には比較的敏感である。
東都の櫻で、他家の花ながら私がことさら愛惜するのは、上野・寛永寺両大師本堂前の「御車返(みくるまがえし)」。
これは、一木に一重と八重、ともに咲き揃う名木(※注1)である。
(※注1)当リンク先のページは音が出るので注意。

古銘を「桐ヶ谷(きりがやつ)」と称したらしく(※注2)、園藝盛んな江戸時代以来の稀種。この種は関東には滅多に見ず、ましてや本堂の軒に並ぶほどの大木となると、両大師のもの以外ちょっと思いつかない。
(※注2)前掲リンク先では「キリガヤ」と読んでいるが、訛伝だろう。一説に鎌倉の産出というが、当地の地名として「谷」は「ヤツ」と読むのであって、これに由来するとならば「キリガヤツ」に相違ない。また、今に伝わる地歌の古曲・長歌物〈櫻づくし〉にも「よしや思ひを桐ヶ谷(きりがやつ)」と歌われてもいる。長歌(組歌に次ぐ三味線歌謡の古作で、後世の歌舞伎長唄とは別物)〈櫻づくし〉は元禄7年(1694)に没した佐山検校の作と伝え、同16年(1703)刊行の歌謡集『松の葉』に詞章収録されている。

もっとも、ついに今年はこの花を見ることは叶わなかった。
昨日、知人が見てきた由、教えてくれたが、既に葉櫻の態だと言う。

この木について、いちど寺僧に問うたことがある。
何でも当寺開闢以来の植栽とか。

寛永寺は德川家康の侍僧・天海僧正の開基であり、次代貫主はその弟子・公海僧正。「上野の宮様」として知られるのは3代貫主からで、以後、宮門跡を迎えて累世の主とした。
その3世貫主である初代輪王寺宮・守澄法親王は、後水尾院第3皇子である。

洛北・常照皇寺には後水尾院が飽かず眺めたという説のある、やはり一木両花の「御車返」があり、この蒼古たる老木を私もむかし見に行ったことがある。
ちなみに、後水尾院は歴代の中でもすぐれて花好きの天皇だった。

珍櫻「御車返」がいま上野の地にあるのは、あるいは、都恋しさのあまり父帝ゆかりの名木を関東に移し植え、心慰めた、守澄法親王の計らいかもしれない。

上野の山麓を鶯谷といい、その近隣の根岸を「初音の里」と称したのは、「関東の鶯の声は訛って聞き苦しい」とした上野の宮が、わざわざ京の鶯をこの地に放したことからの命名と俗説に言うのも、「御車返」の櫻の消息と呼応して、面白いと思う。

最近は「都市伝説」と称し、マスコミの媒介による碌でもない瑣事をことさら「伝説」と不思議がる風俗があるが、「初音の里」のような歴史を背負った出所不明の俗説こそ、本当の「都市伝説」であるだろう。

2011年4月18日 | 記事URL

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