2011/8/11 藝は「進歩」するか?+先代勘三郎の素足 | 好雪録

2011/8/11 藝は「進歩」するか?+先代勘三郎の素足

今年の3月末で終了した松竹の「歌舞伎チャンネル」は、過去NHKで放映された映像のみならず、月々の公演記録、そのほか初公開も含め、貴重な視聴の機会を与えてくれた。
私はふだん、日常の楽しみのために映像を見ることは、まずない。
撮り溜めたものは相当ある。批評なり講座なりのために勉強し直す時には、じっくり見ることにしている。

先日、ちょっとした機会に〈盛綱陣屋〉の映像を見て、ほんとうに驚いたことがある。

私にとっての「大盛綱」は1985年正月の歌舞伎座で、先代勘三郎の盛綱、羽左衞門の和田兵衞、十三代仁左衞門の時政、歌右衞門の篝火なのだが、てっきりそのつもりで再生したところ違って、1980年秋の歌舞伎座、現幸四郎の染五郎が盛綱、現仁左衞門の孝夫が和田兵衞、又五郎の微妙、といった顔ぶれなのだった。

何の気なしに見続けて、ほんとうに驚いた。
これが実にすばらしいのだ。
まず第一に、染五郎も孝夫もセリフに凛としたハリがあり、心地よいテンポで立て板に水を流す如く進めている。
竹本を活かす配慮も理想的で、ことに、セリフの角々で絃に受けさせるところはキッカリと緩め、深く息を取り、いかにも時代である。
何よりも、余計な感情表現を交えず、調子と間を正しく計ることに神経が行き届いていて、しかも、落ち着き払って何のとまどいもない。
昭和55年といえば、染五郎は38歳、孝夫は36歳。さすがに顔立ちは若く、見た目の風格はまだまだだが、この完成度の高さは、どうだろう。

和田上使の件に見入っていた時、ふと思ったのは、この感動は以前味わったものと同種のものだ、ということだ。
そう。初代吉右衞門が盛綱を勤めた、1953年11月の記録映像を初めて見た時の感動と、実によく似ている。
映像で見る限り、見た目は老衰してヨボヨボの大播磨の、凛としたハリのあるセリフ、竹本を活かした義太夫味と、細部に停滞しないテンポの良さ。これがそのまま、27年後の若手の〈盛綱〉に再生されているのである。

考えてみれば、当時、染五郎の父・白鸚の幸四郎は健在だったし、孝夫の父・十三代の大松嶋もそうだった。2人が役を勤めるにつき、助言を得なかったはずはない。八代目幸四郎は、大播磨の盛綱に対して和田兵衞を勤めた人でもある。この上演に、1953年当時の芝居のイキが伝わるのは、むしろ当然だろう。

ひるがえって、私は考える。
現在の幸四郎の、現在の仁左衞門の、それぞれの盛綱が、この映像ほど良いものか、どうか。
どう考えても、私には、そうは思われない。
両人それぞれではあっても、個人的な思い入れや感情表現は濃厚になってはいるが、肝腎の芝居のテンポは緩み、間は弛緩し、実に水っぽい〈盛綱〉になっているではないか。
そのぶん、「凛としたハリのあるセリフ、竹本を活かした義太夫味と、細部に停滞しないテンポの良さ」は、大幅に減殺されているではないか。

確かに2人とも、舞台人としての存在感だけは、現在と比較すべくもない。孝夫の和田兵衞など、セリフに耳を傾けなければ、見た目は細く、居姿に余白があり過ぎる。
幸四郎も仁左衞門も、今や日本藝術院会員なのである。

だが、しかし。
この2人をもってしても、それぞれの盛綱の演技が、ある意味で現在「退歩した」とは考えられないだろうか?
年齢とともに、藝は必ず「進歩」するものなのだろうか?
藝は「進歩」しても、演技そのもの、舞台そのものが「退歩」することはないのだろうか?
そして、はたして「藝」とは何ものなのだろうか?

1980年の〈盛綱陣屋〉の映像を見たことのある方は、このことについてどうお考えだろう。

余談ながら、この1980年の若手〈盛綱陣屋〉では、伊吹藤太をご馳走として先代勘三郎が勤めているのが珍物である。
動きも鈍く、決して「お手本」というわけではないが、驚くべきは、その素足の動きの美しさ。

足の指、爪先の裏に粘りがあり、素足の足裏全体が所作板に吸い付くようだ。

足裏の外縁がしばしば浮く。
すなわち、土踏まずはもちろん、足裏の外縁と所作板との間に、動くにつれてしばしば空隙が生まれる。
とはいえ、悪い意味でここに隙(すき)が生じているのではない。
動いていて終始、粘りがある足の指や爪先の裏に、隙(すき)が生まれるはずはない。
つまり、足の上面、爪先から足の甲にかけて、常に充分の力と気(き)が行き届いているからこそ、足裏の外縁に余裕が生ずるのである。
先代勘三郎の素足は、まるで、浅蜊や蛤が貝殻から舌や水管を出しているような、精妙複雑な動きである。

ヘンなことを考えた。
先代勘三郎にその足裏で踏んでもらったら、すばらしい按摩が期待できるに違いない。

こんなに素足の動きがエロティックな役者が、今はたして存在するだろうか?
これこそ、身体性抜群の、天才的な「動きの名人」の、素足の動きである。

2011年8月11日 | 記事URL

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