2012/1/15 鷺の蔵人 | 好雪録

2012/1/15 鷺の蔵人

今日はちょっとオカタイ、考証メモである。

本日は銕仙会の初会で、トメに淺見眞州の〈鷺〉が出た。
表題はこの能のワキの役名「さぎのくろうど」である。

能〈鷺〉の本説(原拠)は『平家物語』巻第5「朝敵揃」の段。
この一部を独立させて「鷺沙汰」とすることもあり、さらにこれを増幅し「延喜聖代」と称する秘事に扱い、祝言の語り物とする当道(平家琵琶)の伝統もあった。
別に、『平家物語』の増補版『源平盛衰記』巻第17にも同話が見える。
勅命を奉じて鷺を捉えたのは、『平家』では六位、『盛衰記』では蔵人だが、後述のように、これは同一の「六位の蔵人」のことを指す。
いずれにせよ、醍醐天皇と鷺の話は、琵琶法師の間ではめでたい一段として大切に語り伝えられていた。

さて、能〈鷺〉の舞台には、輿舁キ2人のほか、本日は5人のワキツレが出た。
3人は洞烏帽子・狩衣・白大口。
2人は立烏帽子・長絹・白大口。
以上は廷臣の扮装、すなわち全員が貴族である。

これに対して、ワキ「蔵人」はどうだろう。
士烏帽子・掛直垂・白大口。
すなわち、武士の扮装である。

これは果たして、正しいのだろうか?

「蔵人」とは、律令で定められた以外の後補の官職。
いわゆる令外官(りょうげのかん)である。
職掌は天皇の秘書官であり、それこそ結髪から食事の給仕から、天皇の実生活に関わるありとあらゆる役をこなす。
雑用役だが、何と言っても君辺に侍り、御つれづれには会話のお相手もする、晴れの役職であり、宮廷の華だった。
位階は六位だが、昇殿資格は五位以上だから、普通これでは天皇の御座所・清涼殿には上がれない。
従って、「六位の蔵人」に限り破格の処遇で殿上人に列せられ、のみならず、天皇占有の禁色・麹塵(きくじん=山鳩色)の袍の着用が認められた。
麹塵の袍など、いかなる高位の者でも着用できない。これは恐るべき名誉である。
これだけでも、「蔵人」がいかに羨望の的であったか、お分かり頂けよう。
要するに、「士烏帽子・掛直垂・白大口」の武士姿で任官する職ではない。

では、なぜこの能の「蔵人」は、貴族らしい扮装をしないのだろうか?

私が想像するに、これは正規の官職ではなく、「百官名」としての「蔵人」のイメージなのではなかろうか。

百官名(ひゃっかんな)とは、官職名を借りて凡百の武士が名乗る名のこと。
たとえば「観世左近」もこの一例である。
左近=左近衛大夫将監は五位相当の官職だが、観世座の棟梁が天皇からこの職に任ぜられたわけではない。
いわば勝手に名乗るのである。

あまたあるその一つに「蔵人」があり、百官名としては「くらんど」と読む例になっている。
能が武家社会で愛される過程の中で、観客の主要層をなす中に百官名を名乗る者は沢山いたはずだ。
白鷺を捉えようと機敏に立ち働く「蔵人」は、彼らにとっては、官職として正規に任命された優雅な貴族ではない、身近に名乗る者もある百官名の武士のイメージだったのだろう。
それゆえ、原典の設定をさほど深く考えず、いわば「武士の代表」として舞台に出たのが、この能の「鷺の蔵人」だったのではないか。

本日のツレ・王(醍醐天皇)の扮装は「垂纓の冠・単狩衣・緋指貫」だった。
故実で考えれば、蔵人だって天皇に準じた扮装で良さそうなものである。
だが、「垂纓の冠・単狩衣・指貫」姿の蔵人が、屁っ放り腰で鷺を捉えに掛かったら、これはよほど締まらない格好だろう。
やはり天晴れ武士らしい「士烏帽子・掛直垂・白大口」姿の寶生閑がキリリと動いてこそ、〈鷺〉のワキ、というものだ。

昨年の批評欄で狂言〈麻生〉の烏帽子について論じたが、故実と改変、能の扮装一つにしても、まだ考察されていないことは沢山あるのである。

2012年1月15日 | 記事URL

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