2012/1/18 グスタフ・レオンハルト博士逝去 | 好雪録

2012/1/18 グスタフ・レオンハルト博士逝去

明日は急遽、予定をやりくりして日生劇場の〈ラ・カージュ〉再見が決定。
実に、まことに、楽しみ。
既に中日を過ぎた、「大市村」扮するザザ大菩薩の艶姿と絶唱。まだの方は是非。

そんな浮かれた心を一挙に粛然たらしめた、表題の訃報である。

グスタフ・レオンハルト博士
去る16日、本拠のオランダ・アムステルダムにて長逝せられた。
以下、近年の主な招聘元・アレグロミュージック社ウェブサイトからの引用である。

1月16日夜(現地時間)に、レオンハルト氏が逝去されました。
東日本大震災後、多くの海外アーティストの来日公演が次々とキャンセルされていく中、2011年5月来日の約束を果たしたのが、レオンハルト氏でした。このときすでにご自身が重い病にかかっていたにも関わらず、来日してくださったのです。しかし演奏にはその影響を感じさせず、氏が到達した境地がそこにあり、大地震と原発事故で傷ついた日本人に、演奏をもって大きな勇気と感銘を与えてくれました。
その後、昨年11月30日付で弊社宛に、お別れの手紙をいただきました。そして12月12日に、パリで最後のリサイタルをされたのです。
弊社とのお付き合いは20年間(1991~2011)にもおよび、9回来日いただきました。いつも小さなスーツケースひとつを持って、到着出口から一番最初に現われるのでした。
あまりに大きな存在だった、レオンハルト氏。教えていただいたことがあまりにも多く、感謝の言葉、思いでいっぱいです。こういう気持ちは生涯、私達の心に残っていくことでしょう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

博士は昨年の来日中、5月30日にわが国で83歳の誕生日を迎えられた。
震災・原発事故以降、来日忌避の外国人藝術家が相次ぐ中、何事もなかったかのように現われ、その演奏に限りなき心を籠め(アンコールの際に博士として異例の短いスピーチまでなされた)、事に当たられた態度には、淡々としてことさら深いものがあった。
博士はこの20年ほどに亙り、ほぼ隔年のペースで来日を重ねている。
それだけに、毎回確実に身体が衰え、技も痩せてこられているのは明白だった。

が、印象批評を承知で言うならば、演奏そのものは、もとより少なかった虚飾をいよいよ洗い晒し清め、音そのもの、リズムそのもの、といった風情を顕わしていた。
古楽は(好きだが)日常ほとんど聴かない私が、これほどに毎回、足を運び、楽しみ続けた古楽演奏家は、博士の他にはない。

謡や囃子事の構造・技法を良く知り的確に押さえていなければ能の批評ができないように、クラッシック音楽の批評を試みるにはまず楽譜が読めなくてはならない。
専門的にはそれができない私は、クラッシック音楽批評に本格的に携わるつもりはない。
ましてや、古楽である。
調子や音階の設定、楽器個々に即した「音作り」の点において、演奏家は作曲家や曲目に最も合った音律を調え、その様式を考慮した音楽を提供する。
博士が本領を発揮したバロック音楽の場合、楽譜が出版されてはいず、入手そのものに問題山積のことが多い。
博士は時として、綿密な考証を経て自筆で起こした楽譜を見ながらチェンバロを弾かれた。こうなると、無から有を生ずる「神の所業」に近いものがある。
その、音そのものに精神を籠め、音そのものをつくりなしてゆく姿勢は、聴き手にとっては、邦楽の中で最も単純かつ深い能楽囃子や尺八、地歌の三弦や箏の演奏を聴き、評価する行為に対して、甚だ深い示唆を含んでいるように思われた。

レオンハルト博士の弾くチェンバロもオルガンも、「抜き差しならぬ一音」の集積だった。
私は幸いに数あまた聴くを得た博士の演奏を、今後も反芻し、思い出し、学び続けたいと思っている。

2012年1月18日 | 記事URL

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