2012/1/2 『噫無情』 | 好雪録

2012/1/2 『噫無情』

本日は新橋演舞場の初芝居を見ました。
坂東三津五郎の〈金閣寺〉松永大膳が良い仕事を見せています。
早速、批評を上網しました。

私の今年の読書始は、一風変わったところで、「佛國・ユゴー先生著、日本・涙香小史譯」と割書のある『噫無情』。
涙香とは黒岩涙香。『噫無情』とは「ああ、むじょう」。
つまりVictor-Marie Hugoの長編Les Misérablesである。

東宝ミュージカルで一、二を争う人気を誇り「レミゼ」と略称される演目の原作、むろん世界文学史上の偉大な著名作だが、全編通読した人は少なかろう。
その本格的邦訳の最初が、明治39年(1906年)初版のこれである。

この『噫無情』、新聞連載として訳者自ら創刊した『萬朝報』にその3年前、明治36年(1903年)8月に完結している。
私の母方の祖母は、ちょうどその翌月に誕生した。
宗像の生まれで、幼い頃に抱かれて山の上から日本海海戦を望見したとかしないとかいう話をしていた人だから、『ハムレット』と言えば逍遥訳の「尼寺へ行きゃれ」が口癖で、同様に『噫無情』のこともよく口に出していた。
なので私も、ミュージカルの狂言名題はさて置き、原小説に限って『レ・ミゼラブル』と言ったことがない。

涙香の、特に翻訳家としての功績は、改めて評価される必要があるだろう。
この『噫無情』も原作の完訳ではなく、対読者効果を考えた抄訳も取り入れているが、それでも堂々たる大作の趣は失っていない。

涙香訳では、登場人物名の宛て字がみな出色。
総ルビだから良いようなものの、例えば、「戎瓦戎」が「ジャン・バルジャン」だとは、普通は思われまい。
ただ、「燈光の前に立つた其顔の凄さ、其姿の恐ろしさ」は「戎=えびす(野蛮人)」そのものであり、「瓦」は「土瓦(つちかわら)=役に立たないもの」から、「灰頭土面(かいとうどめん=泥土にまみれ社会的に働くこと)」のイメージに通ずる。
そう、これこそジャン・バルジャンの人となりではないか。
「戎瓦戎」とはまさに、表意文字のイマジネーションを駆使した、涙香一流の巧んだ宛て字なのである。

ファンティーヌは華子。コゼットは小雪。
この憐れむべき母子の名は別格に美しい。
それでいて、ファンティーヌの「ファ」に「華」の中国語音「hua」を写し、「小雪」を湯桶読みにすれば「こせつ」だから、何とも心憎く理に適っている。
対照的に、悪役テナルディエ(手鳴田)夫婦の娘2人、エポニーヌとアゼルマを疣子(いぼこ)に痣子(あざこ)と貶めているのには恐れ入る。

東宝ミュージカルで泉見洋平が重演し好評を博したマリウスは守安。
井伊家筆頭家老に、大坂冬の陣で赤備えの先鋒を勤めた木俣清左衛門守安なる猛将がいるが、マリウス君もこうなると、泣きながら「カフェ・ソング」を歌っているわけにはゆかなそうだ。

ともあれ、この『噫無情』。
私の目には、まるで耳から聞いているかのように、何とも流暢に読み進められる。
園朝の速記本と同じく、文体が「目で見る音声」を獲得しているのだ。
そう言えば、夏目漱石の『こころ』にもそんな場面があるように、昔の新聞とは音読し享受するものでもあった。

涙香訳の『噫無情』は、国立国会図書館のサイトで、その全文を簡単に読むことができる。

とはいえ、やはり書物のかたちで手に取りたいのが人情。
幸い、はる書房「世界名作名訳シリーズNo.1、No.2」としても、翻刻出版されている。
それぞれ1冊2,625円(税込)。
一読の価値は確かにあるので、ご興味の向きにはオススメである。

2012年1月 2日 | 記事URL

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