2012/1/7 上田宗箇~武将茶人の世界展 | 好雪録

2012/1/7 上田宗箇~武将茶人の世界展

表記の展観「上田宗箇~武将茶人の世界展」が
松屋銀座8階イベントスクエアで1月16日(月)まで開催されている。
本日は学生有志を率いてこれを見てきた。

上田宗箇(1563~1650年)。
以前は「知る人ぞ知る」武家茶人だった。

近年、その流れを継ぐ広島の上田流が流勢を増してきたことと、世間的には古田織部を扱う人気漫画『へうげもの』の影響もあり、とみに知られるところとなっている。
従来、茶の湯といえば、千利休の家系である三千家ばかりに日が当たっていたものだが、遠州流にせよ上田流にせよ、本質的に町衆の茶の湯である元伯宗旦以降の千家流茶道に対し、時として別箇の世界観を示す武家茶道(江戸時代は全国的にこちらが「主流」だった)が紹介されることは、誠に有意義であると思う。

茶の湯は机上の哲学でも美学でもない。
実践が不可欠の生活思想であり生活藝術である。
したがって、茶の湯の世界を扱う『へうげもの』あるいは山本兼一 『利休にたずねよ』などに傾倒しても、それだけでは実際の茶の湯とはまったく関係がない。
同時に、展示ケース内の茶道具をためつすがめつ睨んでも、それ自体やはり茶の湯とは根源的に無関係の行為である。
これはあたかも、博物館で名品の能面をいくらしげしげと眺めても、舞台に接しない限り、能の世界とは本質的に無関係であるのと同じである。

ただ、よほど恵まれた人でない限り、実際の茶席で世に知られた名品を手に取り、口をつけて感じることは不可能である。
それを補う補足的な手段としてならば、こうした展観は非常に貴重な機会である。

上田流にとって、流祖・宗箇を象徴する秘宝が、宗箇自作の赤茶碗「さても」と、彼が大坂夏の陣の陣中で削った茶杓「敵かくれ」である。
今回の展観にも、それが出陳されている。
両品とも、ガラス越しに見るだに実に美事な気韻である。

茶道具のうちのあるものは、その作をなした人物を見るものである。

職人の造る陶磁器や竹木器ではそうではない。
それらは逆に無個性に徹すべきで、茶席において亭主の個性を上越す「作家の個性」など、邪魔以外の何物でもない。

だが、茶杓や竹花入、ある時は茶碗など、亭主が精神的に拠りどころとする先人の作となれば、その作者の謦咳に接する意図で、これを好んで用いるのだ。
掛物ではこのことが徹底していて、いくら名筆・名画でも、揮毫者の分からないものは使用しない。それが、「道」としての茶の湯の常道である。
自作茶杓や自作茶碗も同じこと。
つまりこの時、「器物=これを作りなした人物」ということが肝要なので、造形的な巧拙は二の次となる。

「さても」には制作当初から罅が入った部分もあり、「敵かくれ」はいかにも陣中作らしく削りは実に荒々しい。
だが、その不完全なところから逆に発する、烈々たる「人物の輝き」は、どうだろう。
400年も前の上田宗箇という武将に直に対面する緊張感と暖かさを、これらに対して感じない人は、まずいないのではないか。

どちらの作も、実に思い切りが良い。
竹にせよ陶土にせよ、小刀や箆で削る時には(楽茶碗の制作に轆轤は用いない)、素人は必ず臆し、徹底しては削り得ないものである。
「敵かくれ」にせよ「さても」にせよ、余計な思念を交えずギリギリまで削り込んで、「もうこれまで」というところでピタリと道具を置いた感がひしひしと伝わってくる。
宗箇が「これでよし」と品から手を離した瞬間と、400年後の現在と、寸刻の間も置かずに直結しているような生々しさがある。
実際に茶席でこれに接すれば、その感は百層倍する。
が、展観で見てもそれは充分に伝わる。
その意味で、能面や能装束の展観にない深い意義が、こうした催しには存在する。

人間・上田宗箇に興味ある向きはもちろんのこと、実践藝術たる茶の湯や、実用品たる茶道具に興味ある向きにとっては、必見の展観である。

2012年1月 7日 | 記事URL

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