2012/1/27 膝は大切に | 好雪録

2012/1/27 膝は大切に

私事でまことに恐縮ながら、
昭和10年生まれの母が膝の半月板の老化損傷で、このたび手術を受けた。
施術そのものは簡単に済んだが、母の場合は正坐と無縁の生活をしているからまだしも、これが「坐る」仕事の人だったら進退の問題に関わるだろう。

長命を保つに従って、膝をやられて悩む人は多い。
茶の湯の稽古人を見ていても、これが原因で断念する人がはなはだ多い。
半月板に限らず膝に故障が出たら歌舞伎役者も満足には活動できない。
ちょっと前は二世松緑。近いためしは田之助である。

田之助も坐れなくなって長く、〈娘道成寺〉の所化にまで出番を作らないとならなくなったが、この人の世話女房や地味な武家女房の良かったこと。本当ならば現代の歌舞伎にとって一つの手本になるはずのものだ。
〈娘道成寺〉は無理でも〈男女道成寺〉ぐらいは踊って見せた田之助の「腕」が、あたら膝の故障で早くにから見られなくなってしまったのは、宗十郎の早過ぎた死と並んで紀伊國屋にとってのみならず、歌舞伎界にとっての損失だった。

能楽師もこれと同じこと。
特に、見所と正面から対峙する囃子方、殊に笛方と太鼓方にとっては重大な問題である。
これが地謡だと、長時間坐る抜け道として、足の組み替えをかなり巧みにやっている。
会派によってはかなりぞんざいに組み替えるところがあって目につくが、亡き關根祥人などこれに厳しく、不作法に組み替える後輩に対しては厳とした態度で臨んでいたのは当然のことだった。
シテの背後にあって「景色」をなす囃子方、特に笛方と太鼓方は正坐姿自体が藝であり、滅多なことでは足の組み替えすらできない=してしはならない。

それにつけても思い出すのは、故人藤田大五郎翁の正坐姿の立派さである。

そんなに老け込まない前、昭和末年から平成の初めにかけてまでの舞台写真を見よ。
切って嵌めた、とはこのことを言うのだろうと思わせられる、根の生えたその坐姿。
大五郎が自儘不作法に足を組み替えたさまを、私は見たことがない。

地謡に出る人は、目立たぬように尻当てを使う例も多い。
ちょっと前に観世元伯氏と話した時、「いくら辛くても尻当てだけは使わないようにしないと。足の痛みは一時的でも、膝を痛めたら取り返しが付きません」、と言っておられた。
尻当てを用いて尻を浮かすと、確かに下肢への負担は減るが、尻が浮いたぶん前傾した重みがすべて膝頭に集中し、結句、膝をことのほか痛めるのだそうだ。

ひとたび膝を壊したら最後、太鼓は打てない。
金春惣右衛門が長いこと足を痛め、橋掛りから出てもすぐ切戸口に引き、後見を代わりに坐らせて、打ちどころの直前に出てきて代わった変則を例にしていたが、あれも惣右衛門ほどの妙手であればこそ「特別の変則」として許されたのだ。
いくら名人でも、初めから終わりまで吹き通す笛方でその便法は無理である。

膝の温存に各自それなりの努力を積んでも、「自助努力」というばかりで何の負担の埋め合わせもない。
膝を痛めたが最後、その藝までも終わってしまうとは、むごいことである。
正坐を常態とする世界では、それが大半の舞台人の「運命」ではないかと思う。

2012年1月27日 | 記事URL

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