2012/2/13 胡蝶の香合 | 好雪録

2012/2/13 胡蝶の香合

名古屋日帰り、御園座を昼夜通しで見てきた。
菊之助の辯天小僧がまさに盛りの花の美事さ。
嫌なことを一切せずに行儀良く、それでいて充分にやり尽くしたもので、この役に求め得る最上の成果だ。

表題は、この芝居の軸になる宝物である。

香合とは、香を入れる合子(ごうす)のこと。
合子とは蓋と身がピッタリ合う入れ物。手許道具として古代以来使用され、大小色々ある。

狭義の香合は茶の湯道具であって、ここでもしかり
茶道具としての香合は、炉の時期は湿った練香を入れる陶磁器製、風炉の時期は乾いた香木片を入れる塗物類を用いるが、これは江戸初期以降の使い分けで、例外もある。
香合の出番は炭点前のあと、炭や(炉の時期ならば)濡灰から発する臭気を抑えるために焚く香を入れておき、炭斗籠(すみとりかご)に納め席中に持ち出し、使用後に客の要望があれば拝見に供する。

そこで問題なのは、香合が果たして「家宝」になるものか?
まあ、香合であろうが何であろうが、皇室や将軍家からの拝領となれば何であれそうはなり得る。
だが、原則として香合は「家宝」にはならない。
それは、道具としての香合の格が低いからである。

現代の大寄せ茶会では、床の間の隅に香合が飾られていることが多い。そうしたことから、香合とは大層な道具だと誤解する向きが増えている。
しかし、床の間とは並々ならぬ場所であり、滅多な道具はそこに上げることはできない。
茶の湯の本来であれば花入か香炉か茶壺。例外として(濃茶を入れる)茶入。まずそれらに限定され、香合のような脇役を床の間に上げるのは間違いである。
それが床に上がるようになったのは明治以降、多くは戦後のこと。
小人数の本式の茶事と異なり、大寄せ茶会では炭点前を省く。そのしるしに、ある意味ではサーヴィスとして、香合を飾りに出したのがきっかけである。現在でも物の分かっている茶人は、床の間を避け書院など床脇に香合を飾る。

茶道具の格式は古来厳然と決まっている。その最古の規範は、足利義政が集めた名品・東山御物。江戸時代に入ると徳川将軍家の柳營御物が権威を持ち、こうした伝来正しい限定された名品を幾つかのカテゴリーに分けて「名物」と称することも行われた。
そうした本当の名物道具の中に、香合はまず含まれていない。理由は明らかで、香合とは本来そんな大層な道具ではなかったからである。

香合が重んぜられるようになったのは江戸後期。安政2年(1855年)の「形物香合相撲」は当時流行の番付物の一種で、ここには茶の湯で用いられる香合を、商業的人気=稀少性=金銭的価値によって格付け分類している。
前述のように、香合とは茶道具の中で決して枢要の品ではない。ただ、いかにもミニチュアで愛らしく、蒐集の対象になりやすい。
そこに目を付けたのが茶道具屋である。そうした趣味的蒐集性に目を付け、商業ベースで値段の格差を設け、一般の蒐集慾を煽った。「形物香合相撲」はその所産である。
後に、明治時代の新興財閥家が茶の湯に凝り出すと、「形物香合相撲」の格付けに従って香合の蒐集を必ず行なった。現代の香合偏重は、こうした時代の流れの上にある。

御家騒動を下敷きとした歌舞伎芝居で、お決まりのように「御家の重宝」がドラマの焦点になる。本来ならば、仏像、刀剣、掛軸、香炉、茶入あたりが妥当なのだ。これら高い格式を誇る品々に比べれば、香合は物の数でもない。
今日は劇中で「黄金造りの胡蝶の香合」と言っていたが、真意は不明である。太刀と違い「黄金造り」の香合などというものはない。恐らく、「黄金をふんだんに用いた蒔絵の香合」という意味であろうが、先述「形物香合相撲」として格付けされるのは大半が陶磁器の香合である。同番付に蒔絵の香合は「世話人」格として挙げられ、「錫縁の蒔絵の香合」がそこに見える。
「錫縁」とは、合わせ目に錫製の覆輪を付けた蒔絵の箱や合子のこと。本来は化粧道具や香道具として作られた手頃な大きさの品を茶の湯の香合に転用したので、これも江戸初期以降の風習である。当然、東山御物や柳營御物に「蒔絵の香合」というものは存在しない。

〈青砥稿花紅彩畫〉は文久2年(1862年)の初演。「形物香合相撲」開板の7年後である。
伝来道具の格式の上下が混乱し、既に明治に至る道筋が出来ていた当時の状況を反映するのが、「黄金造りの胡蝶の香合」なる珍妙な家宝なのである。

2012年2月13日 | 記事URL

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