2012/2/2 吉右衛門と勘三郎 | 好雪録

2012/2/2 吉右衛門と勘三郎

籠居の甲斐あって、ようやく復調傾向であります。

本日、新橋演舞場で六代目中村勘九郎襲名披露興行が初日を迎えた。
1986年1月2日歌舞伎座の〈大盛綱〉初日、祖父・先代勘三郎が二重の上から見下ろす中、舞台上手から鎧姿に兜を持ってチョコチョコ駆け出て、「ただいまご加勢仕る!」「行けェ」「はッ!」と、よろしくやりとりあって花道に去って行った初お目見得の彼の、豆のような小三郎が、ありありと目に残る。
このとき、歌右衛門の篝火に抱かれ健気に死んだ小四郎が、今の海老蔵なのだ。

今興行の眼目は夜の部の〈鏡獅子〉。
当代の規範たる父・勘三郎には不調のため当面望めなくなった出し物を、子が受け継いで襲名に活かす趣である。
芝翫仕込みの重心の低い、格調高い、本物の〈鏡獅子〉を期待したい。
昼の部〈土蜘〉は父の持ち役ではないが、勘三郎より堅く陰翳のある役者だから、ニンにはピタリと合っている。旧臘の平成中村座で踊った、これも勘三郎とは無縁の大役・關兵衛に加え、新しい古典の当たり役を意慾的に開拓する勢いは頼もしい。

だが、今月の興行で「芝居見」が別の意味で楽しみにしているものがある。
それは、吉右衛門と勘三郎の、実に久方ぶりの顔合わせである。

歌舞伎座閉場式の素踊り〈都風流〉で舞台に立った男性幹部の中、ごく短時間この2人が手を取って仕抜きを踊ったのを見て、密かに心湧き立った向きもあるはずだ。

系図上は従兄弟同士、近い親戚であるにも関わらず、2005年3月からの勘三郎襲名興行に、吉右衛門はとうとう一度も付き合わなかった。

異常な事態である。

手控えを検めないと確かなことは言えないが、2004年6月歌舞伎座の海老蔵襲名披露の〈助六〉に、くゎんぺら門兵衛(吉右衛門)と白酒売り(当時勘九郎)で入れ違ったほかは、2002年10月歌舞伎座の〈忠臣蔵〉大序と松の間に、師直(吉右衛門)と若狭之助(勘九郎)で睨み合って以降、この2人は舞台でまったく取り組んでいないのではなかろうか。
それから十ヶ年相経ち申し候、というわけだ。

こうした「大人の事情」があるから、梨園は面白い。
もしこれが、二代目左團次の男気ある藝風を懼れた六代目菊五郎がついに一度も本格の共演をしなかった「藝の意気地の達引」であるならば、それはそれで見上げた見識だったかもしれない。

今月めでたく手打ちが成ったかして、昼の部〈土蜘〉に仁左衛門ともどもお付き合い。
夜の部では特に吉右衛門と勘三郎と、水入らずで一幕を持ち〈鈴ヶ森〉。
これは大いに穿った出し物だ。
この〈鈴ヶ森〉。
亡き富十郎と芝翫が共演した2008年3月歌舞伎座以来の見ものとなろう。

ご興味の方は、どうぞくれぐれもお見逃しなきよう。

2012年2月 2日 | 記事URL

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