2012/2/26 能公演の経済性 | 好雪録

2012/2/26 能公演の経済性

観世能楽堂での「武田宗典道成寺の会」は、営業努力の甲斐が見える大入りの盛況。
内容もすこぶる充実して、初めて能を見た人にも感動があったはずである。

休憩時間、聴くともなしに近くの会話が耳に入った。
たぶん、普段は能を見ない人たちなのだと思う。
「能はどのような公演形態を取っているのか」という議論と疑問だった。

能の公演。あるいは興行。
これはもう、以前からの私の持論ではあるが、経済効率を考え収益を挙げることを「興行」の条件とするなら、能はその範疇には入らない宿命である。
たとえば、観世能楽堂の収容定員は552名。
今回は特別な公演だったが、入場料は15,000~6,000円の4段階。
ここで概算を全席10,000円として全部を売り切った場合、入場料収入は550万円ほど。
これで〈安宅 勧進帳・瀧流之傳〉と〈道成寺〉の能2番、狂言、仕舞多数と舞囃子に要する総ての役者たちの出勤料全額をまかなうのは無理である。
よしんば全席15,000円均一=825万円の入場料収入を想定しても、恐らく無理。
つまり、どれだけ満席になっても公演自体は赤字。細部は異なっても、他の催会の事情はまず似たようなものである。
これが能の公演の実態である。

それを避けるには、以下のように幾つかの方法があると、一般的には考えられるだろう。
1)入場料を上げる。
2)公演回数を増やす。
3)能楽堂の収容定員を増やす、または、能楽堂に限らず大会場で演能する。

だが以上3案は、実際的にも藝術的にも空論・暴論の域を出ない。
(あえてここでは3案に対する私の解答・結論は書かない。試みにお考え頂きたい)
つまり、能はいろいろな意味で、現在の形態に則って公演を続けていく以外ないのだ。

近くの席の人たちは、「じゃあ、能って自主公演なんだね。不思議だね」との結論に達していたが、まさに、能役者自身が主催して執り行われる(良心的演能会のほとんどを占める)公演は、商業的興行とは言えない、研究的な自主公演なのである。

ここで、外部の人間やシステムが企画するプロデュース公演の可能性を考える向きもあるだろう。
だが、前述のとおり、利潤を生まないものに健全なプロデュースの可能性は限りなく低い。
あるとすればそれは、商業目的を欠いたボランティアとしてのプロデュースとなって、実質的には役者自身の自主公演とさして変わり映えのしない形態になるはずだ。

簡単に言うと、「能を演じても儲からない」のである。

では、繰り返して問い掛けるが、「今後、儲かるような演能は可能か?」

よほど阿漕な手段を駆使するか、あるいは集客性だけを考えて藝術性を度外視するなら知らぬこと、まっとうな演能の会を催して「儲かる」ということは、ことに継続的な意味では、あり得ないと、私は分析している。

前記、1)~3)の3案の有効性をご吟味の上、諸兄・諸姉それぞれ考えを巡らせて頂きたいところである。

2012年2月26日 | 記事URL

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