2012/3/12 皇后陛下の喪服 | 好雪録

2012/3/12 皇后陛下の喪服

昨日の東日本大震災1周年追悼式。
参列された皇后陛下の装いを見て、極端に言えば、私は腰が抜けるほど驚いた。

「黒無地五ツ紋の喪服」を召して国家公式の場に出られた皇后は、過去に一人もない。
これは、服飾史上ひとつの大きな「事件」である。

明治以降、伝統的な特定行事を除き、対外的な皇室の正装は洋装に定まっている。
また、着用する和装にしても平安朝の古式に準ずるから、振袖や留袖の如き一般社会の「着物」は顧みられない。事実、明治の昭憲皇太后が皇后時代いわゆる「着物」を着用した事例は、公私ともにひとつも確認できない。
もっとも、香淳皇后は個人的に「着物」が好きだったらしく私的には折々着用し、丸髷の鬘をかぶった写真まで残されている。また、日本女性の和装は外国人の注目を浴びるところから、昭和戦後には女性皇族が普通の「着物」(多くは訪問着)でレセプションや園遊会など公式行事に臨むことが増えてきた。
だが、一般的には洋装、晴れの儀であればローブ・デ・コルテあるいはローブ・モンタントである原則は動かない(戦前まではローブ・デ・コルテの上に女子大礼服「マント・ド・クール」があったが、1943年を最後に廃されてそのままになったのは惜しい。)

いずれにせよ、庶民の喪服が宮中で着用されることは皆無なのだ。

ただし稀少な例外として1999年6月20日・正田英三郎氏通夜の折、皇后陛下は今回と同じ五ツ紋の和装喪服で参列された。これは、実家の私的行事だったためだろう(翌日の密葬では洋装だった)。

ちなみに1989年2月24日・昭和天皇大喪の礼、2000年7月25日・香淳皇后斂葬の儀、ともに皇后陛下は皇族として洋装喪服の最高礼装で参列されているのは当然である。

国家公式行事に皇后陛下自ら和装喪服で参列された今回の例がいかに特殊であるか、以上でお分かり頂けよう。

これは、香淳皇后、秩父宮妃、高松宮妃など保守的な女性皇族が健在であれば実行できなかったかもしれない。先日もこの項に書いた「和服のプロトコール」自体が揺らぎかけている現在でも、「皇后の和装喪服着用」に異を唱える人はいるだろう。
皇后陛下はこうしたすべてを考慮、「それでも」と、たってのお気持ちで着用を決めたに相違ない。
これには副次的理由も考えられる。というのは、皇后陛下は膝を痛めておられ、恐らく常時サポーターを装着しておられるはずで、これを隠すには足首まで隠れる和装が好都合、ということもあろう。
だが、天皇陛下のご体調も勘案してさほど長時間に亙らない今回の場合、その理由が最優先ということは考えにくいし、事実、8月15日の終戦記念日には決まって洋装の軽喪服で臨んでおられる。
やはり、和装そのものに意味がある、と考えなくてはなるまい。
以上、これは天皇陛下の理解のもとに取られた処置でもあるはずだ。
(成人後は「着物」を一切召されなかった昭和天皇に対し、今上陛下は皇太子時代からプライヴェートでは折々好んで着ておられる。)

皇后陛下の和装喪服姿を見た人の多くは、「親戚の上品なおばさんが焼香に来てくれた」ような親密さを感じたのではないだろうか。洋装の喪服だと、ドレッシーになればなおさら、「外部の人が来た」感じが漂うのと違い、和装の喪服には親族感覚がきわめて強い。
そういえば、モーニングに黒ネクタイを絞めた天皇陛下と並ぶと、まるで喪主夫婦のような印象である。

そう。皇后陛下がいつものように洋装で臨席されていれば、庶民から見ればそれはどこか「お客さま」なのだが、和装で臨席された今回はあたかも「身内」なのである。「喪主夫婦」と見たのは僻目ではなく、おそらく、両陛下ともそのお心で今回の追悼式に臨まれたのではないだろうか。

災後1週間も経たない昨年3月16日に発せられたヴィデオ・レターや、重大手術後まだ日も浅いこの日に枉げて出席を望んだ強い意思など、今次の震災に寄せる天皇陛下の憂慮と爾後の行動力には目を見張るものがある。
皇后陛下にしても、まったく同じことだ。

江戸時代の武家・庶民の服装に端を発する「黒無地五ツ紋の喪服」は、宮中の論理からすれば「皇后が着用してはならない衣服」だ。
もしこれを公的に着用すれば、皇后は庶民と同一地平に降り立つことになる。
この問題を軽々と乗り越え、自身の意志で敢えて公的に着用した皇后陛下の意図には、「災厄を国民とともにわがものとする」強い意志が籠められているはずである。
そしてこれは、実父の通夜の席で「黒無地五ツ紋の喪服」を密かに召された「庶民出身の美智子皇后」にしかできない。
天皇陛下もこれを積極的に支持された、ということになる。

以上の理由から私は、皇后陛下の和装喪服の公式着用を、「原理的な秩序・原則よりも大切な『心』を重んじようとする叡智と愛の顕われ」、と読み解く。

繰り返すが、色々な意味でこれは大きな、そして感動的な「事件」なのだ。

2012年3月12日 | 記事URL

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