2012/3/17 三浦春馬賛江 | 好雪録

2012/3/17 三浦春馬賛江

芝居好き=シアターゴーアーとは、基本的にミーハーなものである。
世間で評判、あるいはちょっとした掘り出し物、となると、蟻が蜜に集うが如く群がって話題に遅れまいとするアサマシさ。

といふわけで、これまでスクリーンやテレビ画面の中で活躍し生の舞台とは縁が薄かった三浦春馬クンとはいかなる役者かこの目で確かめるため、赤坂ACTシアターで上演中の〈海盗セブン〉を拝見。

彼にとっては、今回と同じ「地球ゴージャスプロデュース公演」のVol.10として2009年に上演された〈星の大地に降る涙〉以来、2度目の舞台出演だろう。
児童劇団出身とはいえテレビの子役から叩き上げた場合、世阿弥流に言えば舞歌二曲=ダンス能力と歌唱力に欠点を抱える役者が多いものだが、今回はミュージカル仕立てとて歌あり踊りあり、それらを堂々とこなす春馬君の舞台度胸はかなり美事。バックダンサーに熟練者を揃えているからよほど巧く立ち回らないと遜色があるところ、21歳の若さとあって身体のキレも良く、果ては舞台上手から中央へ派手に2度トンボを切る大技まで繰り出し、「三浦屋!」の掛け声でも懸かりそうな熱演を見せてくれたのはめでたい。

最近の舞台ではコメカミから頬のあたりにヘッドを装着し、高性能のマイクで声を拾うことができる。これだと湯屋の浪花節と同じで、発声がいい加減でも「それなりに」聞こえてしまうもの。主演格の大地真央だってそんなに歌の優れた女優ではないから、まあ、カラオケの得意な大学生レベルの春馬君もボロが出ずに済んだ。
ちなみに、こうした舞台歌の巧拙は、音を延ばしたところでキレイにナビキ=ヴィブラートが掛かって音色が膨らむかどうかで分かる。大地嬢も春馬君も、その点ヤボは言いっこなしである。

藝能界には「子役上がり」という言葉があって、当人たちは自虐的に用いもする。確かに、この言葉には「藝者上がり」と同じ色彩がある。

早くから「大人の世界」に入ってメリットもある半面、必要以上に周囲の空気を察知し、身体から先におのずから反応してしまう性(サガ)が「~上がり」の特性だろう。
売れっ子春馬君のニコヤカな笑顔に魅了される婦女子の方々で埋め尽くされた1,324席を前に、舞台上の彼自身、周囲との距離を取ることに極めて卓越した感覚を持っているように感じられた。ということは、彼の中から噴き出す個性より、「使われる素材」としての優秀さが勝っているということでもある。

このあたりが、しょせん商品に過ぎないテレビ役者と、板の上で裸一貫勝負する舞台役者との分かれ目なので、生き馬の目を抜くギョーカイの渦中でどう身を処してゆくか、まずは三浦春馬君の今後のご盛業をお祈り申し上げるばかりである。

2012年3月17日 | 記事URL

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