2012/3/18 絹の琴糸 | 好雪録

2012/3/18 絹の琴糸

今年度をもって教授職退官の安藤政輝氏にご案内頂き、最終講義に代えた記念演奏会を上野の東京藝術大学音楽学部奏楽堂で聴いてきた。
今や数少なくなった宮城道雄直門の演奏家として宮城曲の研究と普及に尽力して来られた氏の業績を象徴する演目が並び、実に聴き応えがあった。

演奏曲目のすべてが、宮城道雄の作曲・編曲によるものである。
最初の〈道灌〉(1936年)は雅楽器を加えた70余名の邦楽大合奏。次の〈編曲松竹梅〉(1954年)は原曲を縮約、小鼓や十七絃などを加えて面目を一新したもの。最後の〈壱越調箏協奏曲〉(1937年)はオーケストラ+箏一面の編成で全3楽章からなる大作。アンコールに指揮者・澤和樹氏みずから奏でるヴァイオリンを迎えてルネ・シュメー編曲版の〈春の海〉(1929年作曲・1932年編曲)が一挺一面で演奏され、まさに宮城道雄のすべてを俯瞰する演奏会となっていた。中でも管弦楽版〈壱越調箏協奏曲〉は実際に耳にする機会の極めて少ない曲である。

宮城曲に代表される新邦楽に、実は私は違和感を拭いきれない。当時の邦楽人が融和を目指した西欧クラッシック音楽は厳格な構造性を母体とするが、対位法、和声、ソナタ形式などその根源的な骨組みは近世邦楽とまったく無縁なものである。
したがって、邦楽の近代化・大衆化の流れの中でまず取り入れられたのは標題音楽的な描写性だった。〈春の海〉はまさに「それだけ」で出来上がっている新曲である。
だが、ベートーヴェンの〈田園〉交響曲のような標題音楽的要素を主に成り立っている例は、クラッシック音楽の中では少数派である。後世、精妙を尽くしたリヒャルト・シュトラウスは交響詩の数々でそれを拡大したが、行き着く先はハリウッド映画の効果音楽だった。
今日聴いた〈道灌〉でも、驟雨の場面では風音を示す箏の擦り爪を多用、楽太鼓の連打で雷鳴を表現、小型の銅鑼(タムタム)がバシーンと鳴って落雷、となると、あまりにも分かりやすい具体的描写の羅列に鼻白んでしまう。

だがしかし、そうしたところから近代日本の邦楽が歩み出したこともまた事実である。安藤氏の演奏は「宮城曲とはかくあるべきもの」という揺るぎない確信から生ずる響きであって、その点、これらの曲目の今日的意義を問い直すに恰好の機会を得たのは嬉しい。オーケストラや慣例的に見譜が常の尺八以外は、安藤氏はもちろん全員が暗譜での演奏だったのもすばらしいことだった。

演奏の合間に安藤氏の講話があった。
藝大邦楽科の生田流箏曲では、現在も絹糸の琴糸を常用しているとのこと。
これは実に立派な見識である。

現在ではほとんどテトロンの琴糸が主流で、稽古用はもちろん、演奏会でもこちらが主流となっている。季節・湿度による変動がなく、何よりも「切れない」ので安心、というのがその理由。確かに、演奏中に琴糸が切れては一大事ではある。
だが、やはり音色の点で絹糸には他に代え難い良さがある。ことに組歌など古曲はこれに限ると言って良い。安藤氏は自宅の稽古でも絹糸を用いる由で、その徹底ぶりは特筆すべきことだと思う。
というのも、安藤氏も言っていたが、ここまで需要が落ち込むと作り手もなくなる。そのことが心配だ、と。なるほど、商売として成立しなくなっては品もなくなる道理なのだ。
皇后陛下がお育てになっておられる皇居内紅葉山御養蚕所「小石丸」は同所にのみ残る古種として知られるが、思し召しによりこの繭を用いて琴糸を製作したところ抜群に音色が良かったという。ただし、製品化の過程で歩留まりが悪く、それを改良した「新小石丸」製の琴糸が本日の演奏でも用いられた。

鼓の革も年々質が落ちていると早くから嘆かれている。琴糸もしかり、こうしたものは一度絶えてしまうと復興はおぼつかない。そのためには需要を増やさねばならない。
本日の話の中にも、藝大の来年度予算が3割強も削減されると同時に、邦楽科の予算もまた1割弱は減少する予測の中で、絹の琴糸は廃止対象にもなりかねない由。
藝大が用いるからこそ作り手も一定の需要が望めるわけで、安藤氏の退官後もこの美風だけは決してなくならないよう願いたいと切に思う。

2012年3月18日 | 記事URL

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