2012/3/24 若い囃子家たち | 好雪録

2012/3/24 若い囃子家たち

勤務校の卒業式に臨席した後、喜多流青年能の後半を見た。

囃子方の全員が若手。
10年前だったら「?誰?」というメンバーだが、全体それなりに纏まっているし、個々に聴いても4人それぞれ取りどころがある。
夜、旧知の中堅能役者と懇談したが、これを話すと、玄人としても同意見だった。

囃子方というものは、立方以上に天分が要求される。
ある名手に聞いたところ、初稽古で道具を手にしたさまを一瞥しただけで、「ああ、こいつはどこまで伸びるな(または、伸びないな)」が分かる、という。
これは箏・三味線も同じなので、邦楽器は比較的単純なだけに、その人の潜在的力量が多くを左右する宿命なのだ。
むろん、鼓類ならば手の大きさや厚さ、笛ならば口つきや肺活量、そうした肉体的要素は乗り越えられない条件ではある。

シテ方やワキ方、狂言方の場合、たとえ背が高く悪声でも、原則的に技術力ひとつで挽回できると私は思っているが、手が小さく薄く、声が詰まって間の悪い小鼓方に十全な亂拍子を期待できることは、ほぼあるまい。

それだけに、一定の条件を満たす囃子方の将来には期待したい。
それには、厳格な先達がいることが必須。

一時代前の東京には、鬼と恐れられた藤田大五郎が君臨した。
時として無理難題を押されても、卓越した技量の持ち主として大五郎を認めない人は皆無だったから、影響を受けなかった囃子方はまずあるまい。
初めて手合わせを願う若手が恐る恐る心得を乞うたところ、大五郎はただ一言、「黙って私について来なさい」と言い放ったという。その光景がありありと目の前に浮かぶようだ。
現在の東京には亀井忠雄と柿原崇志、まったく個性と藝風の異なる大鼓方がいて、同様の存在となっている。
こうした見識のある囃子方は時として容易なことではシテ方と妥協しないが、その緊張感が能の舞台の大きな一面を支えているのだ。

先代銕之亟は、よく言っていた。
「『仲良しクラブ』なんかになるんじゃねぇ!」

期待できる若手の囃子方同士、技を磨いた暁には是非とも「一匹狼」を貫いて、舞台上で妥協のない藝の闘争を繰り広げてともらいたいと切に思う。

2012年3月24日 | 記事URL

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