2012/3/25 携帯電話は迷惑です。 | 好雪録

2012/3/25 携帯電話は迷惑です。

雑駁な表題で恐れ入る。
これはむろん、観劇最中の着信音について。

先刻、宝生別会〈道成寺〉の亂拍子の静寂に、ピピピピッ、ピピピピッ、と10連続。
そのあと、再三繰り返されて、一番が終わった。

美術館の名画にインクを掛けて汚すのが罪ならば、演能中に携帯電話を鳴らすのも同じ、ではなろうか?
何の気なしにインク壺を鞄に入れて外出し、壺の蓋がゆるいのにも気付かず、口の開いた鞄を振り回し、結果、壁の絵にインクが掛かっても(以上、ふつう考えられない条件重複)、「スミマセン、気づきませんでした。悪気はなかったんです!」で済むだろうか?

〈道成寺〉は役者にとって一期一会のもの。観客にとってもそう。
いや、あらゆる舞台がそうである。
どこのどなか知らないが、「スミマセン、気づきませんでした。悪気はなかったんです!」では、舞台に対してあまりに申し訳が立たないのではなかろうか。

「そんな村上だって時に粗相はするだろう。自分を棚に上げて偉そうなことを言うな!」と、どこやらから半畳が入りそうだ。
だが、私に限って、そうした携帯電話の不始末は絶対ない、と断言申し上げる。

なぜならば、私はこれまで一度も携帯電話を所持したことはないからです。
また、今後もそのつもりはないのです。

もし自分が持っていて、うっかり不注意で、老女物の観能中にでも不意に鳴り出したら......と考えるにつけ、たとえば、雪舟の「山水長巻」の上に墨をぶちまけてしまったらどうしよう、というのと同じほど、私は身内の冷えるような気がするのである。

ただし言い添えると、機械音は別として、人体の発する音についてあまり神経質になるのを私は賛成しない。隣同士のおしゃべり、また、舞台に合わせて謡う、などは困ったものだが、咳とかクシャミとか、そりゃ確かに出し抜けに面と向かってされたら迷惑千万にせよ、そうしたことは、それはそれ、お互いさま。
相田みつを風に言えば、「人間だもの」。

その意味で言えば、拍手をする、しないについても、私はあまり「こう」と決めてかからないほうが良いと思う。

もうじき復活祭が来る。
それに先立つ聖金曜日を挟み、ドイツ語圏の二大オペラハウスであるヴィーン国立歌劇場とミュンヒェン・バイエルン国立歌劇場では、毎年決まってキリスト受難に因むヴァグナーの聖劇〈パルジファル〉を上演する。
その第1幕が終わったあとは、主の受難を偲び敬意を表し、拍手を慎むのが歌劇場の掟。
プログラムの隅にその旨、注記もあるのだが、それでも知らない観光客などからパラパラと拍手が起きかける。
途端に、「シーーーッ!!」と、その不注意を制する叱声があちこちから湧き起こるのが常。

ここにはあたかも、掟を知らない来訪者の拍手を待ち受け、地元民がむしろ叱声を飛ばすことを楽しんでいるような愛嬌もあって、そのあと決まって温かな笑い声が場内に漏れる。これに接し、私は不愉快な思いになったことがない。

民度の違い、というものだろうか。

2012年3月25日 | 記事URL

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