2012/3/29 不盡山 | 好雪録

2012/3/29 不盡山

京都への往復は麗らかに良く晴れて、車窓から美事な富士の山容が拝まれた。

昔から富士山、不二山、不盡山(不尽山)、色々に書き表わすそれぞれに意味がある。
『萬葉集』で高橋蟲麻呂が「燃ゆる火を雪もち消ち降る雪を火もち消ちつつ」と詠むさまは、往古、活発に噴火していたころの峻厳さを偲ばせるに充分である。

東京から進むと、次第に近づいてくる富士の山腹に巨大な陥没が目に入る。
現在のところ最後の噴火である宝永大噴火(1707年)の火口であって、荒々と醜い痕跡を示しているが、西に行くに従いそれは隠れ、まさに秀嶺としか言いようのない姿である。

下町や海辺は別として、東京の地勢はおおむね高低差が激しい。高所に立てば富士の遠景を望むのは容易だった。

幼稚園から高校まで、階上の教室の窓からは常に富士が見えた。
冬の良く晴れた日に、授業に身を入れずボーっとしてる時の(折口信夫流に言えば「ほうとする」)心持が、富士山を見るたびに思い起こされる。
拙宅の近くにも、2~3分も歩けば富士が良く見える場所がいくらでもあったものだが、近年、マンション等が林立し、視界を遮られてしまった。
思わぬスポットに思わぬ建物が見え、それが結構遠くに建っていると気づくことがあるが、そんなに低地から見ている訳ではないので、建物そのものがかなりの高層なのだと思う。

東京スカイツリーの完成を世上では喜んでいるけれども、上野から浅草へ向けて松ヶ谷あたりの寺町を進むと、道の向こうに灰色の巨大な塔が相当の威圧感を誇って驚かされる。

富士山のような自然物では巨大さは美や崇高さとも等価となり得るが、人造のもので巨大すなわち美、と単純にはなり得ないものである。

2012年3月29日 | 記事URL

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