2012/3/6 新作能〈聖パウロの回心〉 | 好雪録

2012/3/6 新作能〈聖パウロの回心〉

本日午前、表題の能を池袋・立教大学タッカーホールで見てきた。
ご存じのとおり、「回心」とはキリスト教信仰に目覚めることである。

招待制の半公開公演だから正規の批評の対象外かも知れないが、確かに、新作能史上ひとつの業績である。別途、批評の項に上網したい。

棕櫚の葉を葺いた塚の作リ物に入ったイエス(観世清和)が、小鼓のノットに乗せて迫害者サウロ(回心前の聖パウロ)に呼び掛ける謡、「なうなうサウロよ。そなたはなぜそのやうにわれらを虐ぐるぞ」(文語訳『使徒行傳』第9章の「サウロ、サウロ、何ぞ我を迫害するか」に該当)が出色。硬質でコトバの明確な清和の謡の力が、姿を見せないままこの能の焦点を形づくった。

聖書にまつわるエピソードを能にしたものは数多い。
土岐善麿が執筆し喜多實が上演を重ねたものはその代表で、喜多流正規のレパートリーにも入っているのだが、今日ではまったく顧みられない。

今回、「四百数十年ぶりの吉利支丹能」を謳ったのには、それらとは一線を画する意図があろう。英国国教会の末端、日本聖公会の学校である立教学院の特別協力で同小学校の宗教教育の一環として制作・上演された点、聖公会式の礼拝に始まり礼拝に終わった本日の演能自体、「吉利支丹能」とまったく同じ布教活動に直結するところにあった。
その点、藝術的創作欲から生じた喜多流のキリスト能(善麿の父・土岐善静は浄土真宗の僧侶である)とは、根本の意味が異なると言うべきだ。
禁欲的な能の形式自体、新旧の会派を問わずキリスト教に親和性があるに相違ない。

自然に恵まれた国土に生き、八百万の神づまる多神教的心情に生きる日本人にとって、荒野に住んで自然と闘い、厳格な一神教を根源とするキリスト教に拠る人々の思想は、実は不可解なものである。教会で結婚式を挙げるのは普通とはいえ、「異教徒」の行為として理解しがたいとするのが西欧人の常識。厳格なカトリックでは、非信者の結婚式の司祭は、法王庁の目こぼしによって日本だけに認められた特例なのである。
逆に、日本人にとっては、神道も仏教も、さらにはキリスト教も、ひとつのものとして包括してしまうことに違和感はない(神仏を峻別する発想は明治の国家神道の作り上げた「原理主義」であることは知っておくべき事実である)。

この発想には、実は可能性が潜んでいた。
仏教を日本化したように、キリスト教を日本化しわが国に独自に定着させる道も、発想の上からはあり得たのだ。
だが、明治以降のキリスト教は、一種、日本蔑視・西欧尊重の価値観と表裏一体だった。それとともに、外国人の宣教師やキリスト者たちが熱心に教導し、それぞれの原理原則を徹底させることに倦まなかった。
1865年3月17日、浦上天主堂における「信徒発見」は世界カトリック界の驚異として感動的に告知されたものの、彼ら長崎に沈潜していた「隠れ切支丹」の独自に日本化した信仰形態が以後のローマ法王庁から一種、異端とも見なされたのは、理由のないことではない。

キリスト教というものは中世以降、ちょっとやそっとでは風穴の開かないほど教派や系譜によって厳密に組織化されていた。同時に、「異端」の排除が厳しいのがキリスト教の特色。聖公会の首長たる英国王の王位継承権は、現在でもカトリック教徒と結婚すれば剥奪されるように、諸派間の「抗争」すらいまだに尾を引いているのである。

われわれにとって、かほどにキリスト教は複雑怪奇なのだ。
能がこれにどう関わって行くか、無限の可能性と共に、実はたいへんな困難も予想されるのである。

2012年3月 6日 | 記事URL

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