2012/4/2 東京駅復興 | 好雪録

2012/4/2 東京駅復興

復元工事中の東京駅(丸の内口)駅舎の外観が調って覆いが外されたとの報道
先ほどさっそく見てきたが、なかなかの威容である。落成の暁には、東都の新名所になるはずだ。

ただ、周囲の光景はあまりにも貧しい。
林立した高層建築群の谷間に埋もれ、都市計画の無策を内外に露呈するかたちである。

近代の建築遺産で最も貴重だった明治宮殿を焼いた1945年5月25日の大空襲により大破したこの駅舎の復元については反対意見がある。
「広島原爆ドームにも匹敵するこの戦争記念碑の建物を、戦前の当初形態に復原することは、とりもなおさず、戦争と戦後の歴史の証人を消し去ることになる」という緒言にそれは尽くされていて、確かに傾聴すべき意見であり、見識であると私は思う。

これは、国の重要文化財に指定されているこの建物が造形的に優れているか否か、また、この種のクラッシックな建築物が好きか嫌いか、という問題とはまったく関係ない。
「都市空間における公的建築物の意味と、その歴史性とは、いかなるものか」という思想に関わる議論である。

1945年を跨ぐすべての事象について語る時、「先の大戦についてどう考えるか」という態度が必ず問われる。
それについて何がしかの見識を持たない者に、真っ当な議論はできない。

「広島原爆ドームにも匹敵するこの戦争記念碑の建物を、戦前の当初形態に復原することは、とりもなおさず、戦争と戦後の歴史の証人を消し去ることになる」という考えに基づいて東京駅駅舎の今後を考えるとすれば、(1)空襲で大破したものを応急処置した2007年5月までの形態を残す。或いは、「奈良TOTO建築トリエンナーレ1998」で佳作となり『新建築』同年11月号に報告された建築史家・平井聖の案(2)「駅舎を中心から左右に分け、片方は被災大破の姿に復元し、片方は創建当時の姿に復元する」大胆なスタイル。そのどちらかの選択、ということになろう。
双方いずれにせよ、原爆ドームのように、戦火の跡を後世に残すことを意図するわけだ。

ここには、反戦の立場に立ち、建築によって過去を記憶しようとする社会的主張が顕われている。そして、この主張の背後には、近代日本の過去を「負の歴史」として捉えようとする意図も潜んでいよう。

海外ではどうか。

ミュンヒェンもヴィーンも連合軍の爆撃を受け、市中は瓦礫の山と化した。だが、文化の象徴たるオペラハウスは戦前とまったく同じか、またはそれに準ずる形で再建された。有名な大空襲に遭って都市全体が完膚なきまでに破壊されたドレスデンの、「ゼンパーオパー」に至っては、劇場建築史上のこの傑作を旧規とまったく同じに復元するため40年もの歳月を費やしている。
ドイツとオーストリア、両国とも第三帝国の圏内とて、歴史認識については日本よりよほど厳しいものがある。だが、都市そのものの歴史は、先の大戦よりはるかに遡る。
オペラハウスの復元は、都市文化の継続性の保証に不可欠な作業なのである。

日本における都市文化の継続性に寄せる認識は甚だ薄い。東京の歌舞伎座を考えれば分かるとおり、新築のたびに意匠が変わっている。ということは、こと劇場建築に関しては継続性を重視してはいないということだ。これは、河原に仮設した芝居小屋時代からの性質なのかもしれないが、やはり、明治以降の都市建築に対するわれわれの認識があまりにも低いことが大きな理由だろう。
初代帝国劇場(1911~23年)、ライトの帝国ホテル(1923~68年)、こうした公的性格を具えた藝術的建築作品の消失を許してしまうようなことは、先述の各都市では考えられない。

ヴィーンは中世以来の神聖ローマ帝国首都ではあるが、市街の公共建築の大部分は19世紀半ばの都市改造期に成ったもので、国立歌劇場は明治維新と同年の建築である。それと比較すれば、明治以降おもむろに西欧化した東京の近代建築群も歴史の点でさほど前後する訳ではない。
ただ、当時の国力や公的資本の問題もあって、日本では重要文化財指定の法務省旧本館級の建物は、ヴィーンではそれこそ街中に建ち並び、規模の点では比較にならない。
だが、わが国の近代都市建築が法務省旧本館(1895年)や東京駅丸の内口駅舎(1914年)から出発したのも、紛れもない事実なのである。

そうした意味で、今回の東京駅復元が、日本における近代都市建築の「オーソドックス」を確認する作業であると正しく認識された時、先述の反対意見に対する論理的な回答が導けるはずである。

もっとも、冒頭でも触れたように、建築物個々のレベルではなくそれを取り巻く都市空間の点で、東京はもはや手の付けられない乱脈開発を許してしまっている。
その「手遅れ」を改めて確認する契機となってしまうのが美々しく復興した東京駅駅舎であるとしたら、これは甚だしいアイロニーと言うべきだろう。

2012年4月 2日 | 記事URL

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