2012/4/7 手芸洋品店「糸高」 | 好雪録

2012/4/7 手芸洋品店「糸高」

表題はレッキとした屋号である。

スーツのボタンが取れて、付け直さなければならないのだが、縫糸がない。
他のボタン糸と同じ色でないと遠目で一つだけ違いが目立ち、気持ちの悪いものである。

たまたま香川靖嗣の〈安宅〉を見に行く日とて、ふと浮かんだのは、能楽堂への道すがら、目黒駅から杉野の洋裁学校(これは既に古語だろうか......)に向かって右手、昔ながらの洋裁付属品店がある。
ほんとうに古ぼけた店内いっぱい、商品のボタン類、糸類が山積している。

着ているスーツを示し、「この色を」と申し出た。
シロウトではとうてい選びきれない種類が揃った抽斗を開け、店の人は瞬く間に2つ同じような色目、だがよく見ると微妙に異なる糸を出して、比べ、「あ、これですね。105円です」。

店に入って、探してもらって、代金を払って、出るまで、わずか30秒。
寸分たがわぬ色目のボタン糸が手に入った。

私は感動してしまった。モノスゴク。
商売のプロとは、まさにこれを言うのである。

学校経営の厳しい時代にも関わらず杉野のドレメは好調で、校舎の新装も相次いでいる。この分で行けば、「ドレメ通り」が「喜多能楽堂通り」と呼び替えられることはまずあるまい。
老舗「糸高」は、まったくドレメ関係者の日常利用あればこそ、ここまで単独専門店の看板を下ろさずに続けてこられたのだろう。
昔は町の学校の前に必ず文房具屋があったものだ。量販店や通信販売が普及して、子供相手の零細な商売は立ち行かなくなった。私が通った小学校の近隣に3軒もあった文房具屋は、今や一軒も残っていない。

1巻105円のボタン糸を商う店の売り上げが積もり積もっても多寡は知れていようけれど、専門用品に通暁した商いの知識と経験は金では買えない。歴史が培った財産である。

今後新たなボタン糸を買い求めることは、私の残りの生涯の間にあるか、ないか。
せめて杉野の教員・学生の諸兄諸姉には、ご近所の「糸高」を末永くご贔屓願いたい。

2012年4月 7日 | 記事URL

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