2012/5/1 維納見聞記① | 好雪録

2012/5/1 維納見聞記①

★今回で9回目のヴィーンである。

だが、いつも行くのは2~3月。必ず寒いと知れているから、旅装の用意はかえって簡単。
夏時間に変わったこの時期の訪問は2度目だが、真夏のように暑かったり、真冬のように冷え込んだり、それが日を接して続きかねないのが中欧の気候の常だ。まさか冬物コート持参と言う訳にはゆかないけれども、相応の心配りは欠かせない。既に連休開始後とて、成田エクスプレスの車内は空席が多い。

★成田からヴィーンへはオーストリア航空の直通便が1日1便就航している。
別に格安の航路を探せばそれはそれでたくさんあるけれども、トランジットで余分な時程を計上せず最短最速となれば直通便を選ぶ以外ない。大型連休中は平時のほぼ倍額なのはちょっと痛い。
往路は午前11時15分成田発、現地時間同日午後16時ヴィーン着というのが標準で、所要時間ほぼ11時間。ちなみに、私はいつもエコノミークラスである。たとえビジネスやファーストが奢れても、現地のホテルを格上げしたほうがよほど得だろう。それに、飛行機の席の取り方には実は私なりに編み出した、エコノミーでも快適な秘訣があるのだ。それは秘事口伝でここには記さない(笑)
今回も「秘訣」が成功。飛べども飛べども尽きないロシアの雪原の上を飛び続ける間、まことに安楽だった。

★機中読了した中公新書・元木泰雄『河内源氏~頼朝を生んだ武士本流』は力作。武士と貴族とを安易に二分する危険を認識した上で、第一級の史料を表に立てて、定見・定説に足を取られない著者自身の史観を打ち出している点、読み物としても面白いし、手堅い歴史知識が得られる学恩にも感謝したい。

私としては、『健壽御前日記』(『たまきはる』あるいは『建春門院中納言日記』の呼称は私は採らない)の記述で知られた、ゴミ屋敷と言っては言い過ぎだが埃だらけの豪邸に悠然と住んでいる巨万の富の主・八條院(鳥羽院皇女暲子内親王)が、平治の乱後一時滅亡に瀕した武家源氏の劇的再興に寄与した事実の大きさに改めて気付かされた。
なるほど、頼政が命を捧げた高倉宮以仁王は八條院猶子であり、「以仁王の令旨」を奉じ密使に立った新宮十郎行家は八條院蔵人であり、頼朝の命を助けた(とされる)池禅尼は実子・平頼盛の妻に八條院の乳母子を迎えているのだ。

ただ、細かい感想を付け加えると、先学・余人の説が筆者自身承服し難い部分で筆が淀むというか、感情的なワダカマリがモロに見える箇所が幾つかある。亡き表章氏の文章にも、これとはちょっと違うが、自らの容れない「妄説」を執拗に調伏するような筆致があったけれど、学術著作でこうした「個人」が露呈することを、率直に言って私はあまり好まない。

★予定より早く、現地時間午後3時過ぎにヴィーン到着。
いやもう、その暑いことといったら。あとで見たら摂氏29度だった。

空港から市内へはアクセスが良い。いつものようにリムジンバスで都心・Schwedenplatzまでノンストップの経路。8ユーロ也。
畑の中に家屋が点在する郊外の景色が続くうち、ドナウ運河が左手に見え、やがて突如として石造りの建物が櫛比する光景が目に入ると、もう既にヴィーンの市街なのである。
良く晴れた夏日。薄紫の桐と、赤いマロニエと、白い針槐の花が、浅緑の若葉の間であちこちに咲き満ちているのが美しい。冬に訪れるヴィーンは煤けた埃っぽい印象が強いが、この季節は豊かな自然の色彩美でその欠点は隠れてしまう。
緯度が高いせいか翠色が濃く、透き通るようだ。
そう言えば、昨年の初夏も東京ではいつになく木々の緑がそう見えた。植物には注意しているから確かな印象で、何人かの知人と同じ感を述べ合ったものだ。まさか、地震の影響ということはなかろう。あるいは放射能拡散のためだったのか......

★空港を16時20分に出たバスが20分ほどでSchwedenplatzに着き、そこから地下鉄で1駅Stephansplatzで下りると、大聖堂脇を通って徒歩1分で定宿に着く。
部屋に入って17時。
ギリギリ、今宵のシュターツオパー開演時間17時30分に間に合いそうだ。
そこで、顔も洗わず髪も梳らず、荷物を引っくり返してスーツを出して着替え、宿を飛び出して10分後には劇場当日券売場に。ダメなら立ち見と思っていたが、ちょうど、1.Rang Loge RechtsのLoge1,Reihe1,Platz1という席がただ1枚売れ残っていたのは実にラッキー。
この劇場に詳しい人ならば分かるだろう。115ユーロの値段以上に良い席なのである。
ロビーで一杯やる暇がなかったのは残念だが、長旅の直後に微醺を帯びて延々長時間の〈ドン・カルロス〉に臨んだら眠ることは必定だからかえって身のためか。紺の詰襟を着た座席案内人に5ユーロ出し釣銭は取らずに4.8ユーロのプログラムを買う(3年前は3.5ユーロだったからこれでも値上がりした。そこに挟み込んである当日専用の配役表とプロフィールだけ欲しかったら別途0.9ユーロで売ってくれる。要らぬ情報ばかりの日本のプログラムは高すぎる)。右下にオーケストラピットを見下ろすボックス席最前列の椅子に坐ると、じきに照明が落ちた。

ちなみにヴィーン国立歌劇場では、暗くなってピットに指揮者が現われる直前、携帯電話の着信音が4回大きく場内に響き、慣れない人は驚くことになっている。これは劇場があえて流す音なので、いよいよ開幕というところで客席の注意を促しているのだろう。
日本のようにしつこいアナウンスを繰り返す、更には劇場職員が声を張り上げ「携帯電話の電源は......」と叫んで回るのに比べれば、いともスマート。

Giuseppe Verdi "DON CARLOS"
◆指揮:Bertrand de Billy
◆演出:Peer Konwitschny/ビデオ演出:Vera Nemirova/ドラマトゥルグ:Werner Hintze
◆フィリップ2世:Kwangchul Youn/ドン・カルロス:Yonghoon Lee/ポーザ侯爵ロドリーグ:Ludvic Tézier/宗教裁判長:Alexandru Moisiuc/修道士:Dan Paul Dumitrescu/王妃エリザベート:Adrianne Pieczonka/エボリ公女:Béatrice Uria-Monzon/小姓ティボルト:Juliette Mars/レルメ伯爵:Norbert Ernst/天からの声:Elisabeta Marin/幕間の司会者:Michaela Christl

★ヴェルディ屈指の傑作〈ドン・カルロス〉は上演版が実にさまざまあって、それだけで優に研究論文が成り立つ。
今回上演されたフランス語5幕版はサル・ル・ペルティエの旧オペラ座で万国博覧会を当て込み(このとき幕使・徳川昭武や随伴の澁澤榮一は同座でマイアベーアの〈アフリカの女〉を見たという)、ナポレオン3世とウジェニー皇后の天覧を仰ぎ1867年3月11日に初演されたものかと言うと、さにあらず。その初演版の元となり実際は日の目を見なかった幻の「原典版」である。全5幕8場。第3幕第1場「仮面舞踏会の場」にはパリ・オペラ座慣例のバレエも入り、2回の休憩を挟んで上演時間は優に5時間に及ぶ。
初演版は原典版から上演時間19分相当をカットしたものだが、そのカットの理由が「深夜0時半発車の最終汽車に観客を間に合わせるため午前0時には興行終了」という劇場規則だったとは、コアなオペラファンには知られるところ。つまり、残されたあまたの版の中でも原典版は最も長大な〈ドン・カルロス〉(フランス語版なので役名もフランス語読みである)なので、これは当劇場で2004年に初めて復興されたものである。
このフランス語原典版が済んだあと6月と新シーズン開幕の9月には、よく上演される1886年改訂イタリア語版〈ドン・カルロ〉が当劇場の別演目に入っている。
随所で似ていても総体はまったく異なる二つの〈ドン・カルロ〉を連続上演できる力量。世界最高のオペラハウスの具えた底力、と称する以外にない。

★最近のオペラと言えばト書きどおりということはまずなく、大抵「読み替え」演出である。
当初の鑑賞予定になかったこの夜の〈ドン・カルロス〉。何の気なしに見始めた。
どうしたことやら、いつまで経っても休憩が入らない。
この劇場の挟み込み当日用番組にはいつも休憩の箇所と回数が明記してあるが、今回に限ってその記述もない。

実は、この公演の演出が鬼才・コンヴィチュニーによるものだと、不覚にも当初はまったく認識していなかった。
ヘンだなぁ......と思っていたら(コンヴィチュニーだもの、「ヘン」でないはずがない)、第3幕第1場が終わっていきなり休憩となった。
このオペラを知る人だったら分かるだろう。これまた、「ヘン」な休憩の入れ方である。中途半端な「夢の場」(後述)まで引っ張ったからには、続く第2場・異端者火刑の大フィナーレへ繋げて、それが済んでからひと休み、というのが順当だ。
でもまあ、始まってからほぼ2時間ヤレヤレ、である。ロビーに出て1盃6.1ユーロのセクト(ヴィーン市内醸造のスパークリングワイン)でホッと息をついていると、どうもロビーが賑やか。取材カメラマンに照明が繰り出し、女性アナウンサーのような美人が場内あちこち移動して幕間風景をレポしている。
特別な公演初日でもないのになぜ??と思っているうち、馴染の調べが響いてきた。
次の火刑の場の派手な前奏である。

あらら、いつの間に始まったんだろうと慌てて桟敷に取って返すと、当然ながらまだ客席は閑散と休憩中。
なのに指揮者はオーケストラを叱咤し、舞台にはグラスを持った(ということは観客と同じく「休憩中」の)合唱団がゆる~い姿で、でもシッカリ歌だけは歌っている。
もはやどんどん舞台は進行、反体制側とおぼしき人びとが無情にも小突き回されながら次々と客席に「連行」されて来るのを、合唱団は歌い(かつ談笑しつつ)せせら笑って見ている。肝腎の国王夫妻はどこから登場したかといえば、舞台袖からではない。歌劇場正面の大階段を上がり、ロビーを抜け、平土間の客席からピットを割って舞台に上がる、という趣向だった。
この光景の一部始終、舞台(および大階段踊り場)に掲げられた大スクリーンに映写され、舞台と客席と、つまり虚構と現実と、虚実の境を取り払った演出趣向を徹底した訳である。
ちなみに人物の衣裳は、王妃と公女はいちおう裾の長い服を着てはいるものの厳格には古典的とはいえず、全員が現代感覚のオートクチュールのようなモノトーンの扮装。修道士のみリアルな茶色の修道服。

芝居はそのまま続く。
普通だと圧政に悩むフランドルの民を率いて窮状を訴える王子カルロスと父王との対立になるのだが、その窮民の合唱が響くところで、平土間から天井桟敷まで配された役者たちがアジビラを撒き、かつ手渡して回る。見るとそれは、先の大戦で連合軍の空襲によって破壊されたシュターツオパー廃墟の写真のコピーだった。

肝腎の観客の反応はというと、これが大受け。
大合唱の中、国王夫妻が客席に現われると、上演中(?休憩中?)だというのに場内から大喝采が起こったほどだ。

でも、国王の足下では、次々に連行される反体制派が相変わらずボコボコにされているのだから、いま「国王」に賛意を送って拍手した人たちは、劇場空間的には「体制支持派」に組み込まれてしまうことになる。そうすると、アジビラにあった「先の大戦における歌劇場破壊」はナチズムに併呑されたオーストリアの自己責任とも読み取れるから、大受けした観客たちはみなナチズム支持者、という見立てになるのでは??いや、論理的には当然、そうならざるを得まい。
この場の最後、普通だと姿を見せず天井近くから聴こえる清澄なソプラノの歌声は圧政を非とし受難者にこそ神の恩寵が齎されるというヴェルディの教会批判と私は読むのだが、いずれにせよ国家と宗教の暴悪にノンを突き付ける天国的な奇蹟の歌声である。今回の演出では白いドレスを着た女性歌手が舞台中央のマイクの前に立ち、国王夫妻にタップリ媚態を示しつつ歌うのだから、歌声さえも体制側に寝返ったわけで、実に救いのない展開なのである。

★こんなわけで、登場人物には尊厳というものがまったくない。

第4幕冒頭の名アリアを歌う国王は舞台上に敷かれた皺だらけのシーツの中にシュミーズ姿のエボリ公女と同衾、不倫の床から起き上って衣服も乱れたままこれを歌う。
亡き先帝カール5世の化身として最後にカルロスを廟内に引き入れる修道士はオドオドと俗人らしい演技に終始し、まるで〈運命の力〉のメリトーネである(今回の演出でこの修道士は「退位し隠遁している先帝」であり、ひとりだけ実体を伴う余生を生きているからリアルな修道服を着ているのだろう。彼が舞台正面端に植えた緑の木に最後の照明が当たって、一種の「可能性」が暗示されるのも意味が深い)。
隠然たる権威の象徴たる盲目の老宗教裁判長は最後この頼りなさげな修道士の起こした奇蹟とも見えない奇蹟に打ちひしがれる格好となるので、これまたはなはだ締まらない。

こうした中で歌われる感動的なナンバー、第4幕第2場ロドリーグの死(私はここで必ず落涙することになっている)、第5幕冒頭の王妃絶望のアリア(原典版から改訂されず残されたこれがイタリアオペラのソプラノアリア最高傑作だと私は思う)、ともに歌手の歌そのものはすばらしいのだが、歌われる状況はまったくもって冷え切ってしまっている。

その典型が「エボリの夢」と題された第3幕第1場のバレエ音楽シーン。
歌舞伎の夢の場で「心」字の板が下りてくるのと等しく、舞台上部に"Eboli's Traum"と文字が出る。バレーダンサーは登場せず歌手5人の黙劇で、エボリ公女が恋しいカルロスと夫婦になって安っぽい愛の巣を構え、そこに国王夫妻がお祝いに訪れ実に下らない小騒動が巻き起こる。ポーザ侯爵はデリバリーのピザを配達しにやって来る。
ここでは、ヴェルディがパリ・オペラ座の慣例によって嫌々書かされたバレエ音楽ともども、退屈至極な場面の中に主要人物のすべてが戯画化されている。この直後に休憩が入り、虚実混濁の次場に続くのは、コンヴィチュニー的には筋が徹っているのである(ちなみに、第3幕第2場~客席の扉はすべて開放されたままロビーのブッフェも営業を続けている~が終わったあと持続的にというか、改めて休憩を取り、第4幕からは最後まで通す)。

★それでは、観客の立場はどうなるのだろう。

ナチズム支持者に見立てられて当惑は感じないのだろうか?
それより何より、休憩中に予告もなく次の場が始まったのだから「席に着いて聴けなかった分、払い戻せ!」と騒ぎになりはすまいか。

恐らく、日本だったら後者の苦情がドッサリ寄せられ、次のシーズンからは絶対に再演などできないはずだ。

ナチズムの話はもっと深く考察しなくてはならない。既に初演から8年も経った演出だから、馴れている人たちも多いだろう。
それにしても、ここまで物語性と劇場空間を解体(むしろ破壊)する作り手の論理と、それを主体的に「愉しむ」知的な作業(モノを考えずただ「感性」だけで過ごすには5時間の上演は長すぎる)に参加する観客の論理とが、この日の劇場には確かに存在した。
少なくとも、こうした相互関係に信を置いていないと、こうした舞台づくりはできない。結果が肯定されるか、否定されるかは、そのあとの問題である。

つくづく思わされたのは、ヴィーンのような過去の栄光や伝統の中で生きているような都市にも、帝政を倒した市民革命の過去があり、衆愚の至るところ破滅の過去があった、ということ。
日本には前者の歴史もなければ、後者の自覚もない。
たとえこのコンヴィチュニー版をわが国で上演したとしても、そのメッセージはまったく機能しないだろう。
※この演出はすでに初演の舞台がDVDになっていて簡単に確かめることができる。

★歌手はすべて優秀。中で王妃を歌ったピエチョンカが無理のない発声に豊かな気品があって最高。
また、国王と王子が韓国人歌手だったのは、翌々日の〈道化師〉と並んでヴィーンにおける東洋系の歌手の優勢を象徴する出来事である。

★午後8時前の休憩時はまだまだ外は明るかったが、10時半を過ぎるとさすがに夜。依然として暖かいより暑いほどである。劇場内はほんのり空調が入っていたのか。でも、やはり暑かった。
宿に帰って、何やかやで就眠は午前2時ごろ。

2012年5月 1日 | 記事URL

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