2012/5/18 文楽の落日 | 好雪録

2012/5/18 文楽の落日

浅草で美事な勘三郎の辰五郎に驚嘆して、その足で三宅坂の文楽を見た。
実に、「落日」としか言いようのない無内容である。

〈吃又〉〈酒屋〉〈琴責〉と並べれば、どれも通しではなく付け物として人気を保った一段物の連続だから、ここではドラマより藝を楽しむという姿勢が前面に立つことになる。

しかるに、〈吃又〉の住大夫はコトバはさすがに巧いものの、ハラとイキの詰めがすでに全くならない。よって、歌舞伎よりも地味な「石抜け」の件を頂点にすることができず、なにより甲がハレず呂が効かず、常に同音を声音と雰囲気で操作して一段を通している。
〈酒屋〉前半の嶋大夫はミニマムな味で聞かせはするけれども1987年9月の国立劇場小劇場文楽公演における越路大夫至高の〈酒屋〉に比べれば稽古屋の浄瑠璃。後半を勤めた源大夫に至っては気の毒ながらもう声が全然出ず、浄瑠璃の態をなしていない。
それに比べれば津駒・千歳の両大夫による〈琴責〉はパリッとして聴こえるものの、〈琴責〉とはこんなに情も風情も皆無な語リ物であろうか?段切の重忠のコトバを抜いてしまうのは内山美樹子先生の厳しく指摘する欠点だが、例の古靱と錣の古録音を聴くと「漲り落つる瀧の水」で名手・豊澤新左衛門は豊かな水音を本当に聴かせている。藝を聴かせるのであれば理解しがたい省略である。

人形に見るべきものはひとつもない。先述した1987年9月、魂の叫ぶような越路の語リに呼応したお園に比べれば、抜殻のような蓑助。昨年の中将姫で神品を見せた文雀のお徳も、床が押してこないせいもあって形ばかり見える。勘十郎の阿古屋は無難にこなしたというばかりで、特段の感がない。

従来、人形浄瑠璃文楽には、能にも増して厳然たる藝の規範が存在した。
上演資料集にも其日庵の言葉が盛んに引かれてはいるけれども、こうした記述を現在の文楽に反映させて考えることは、ほとんど不可能ではないだろうか。

何より、観客のレベルが低い。
いや、昔だって色々な見物がいたはずではあるが、浄瑠璃を中心とした実技への興味が低下、感覚的な自己評価あるいは演者の個人的人間性へ寄せる興味が客席に広がり、「文楽とは厳しいもの、一朝一夕には分からぬもの」という藝への懼れが退化した事実は否定できないのではあるまいか。

「これでは大和地とは言えない」と聴き分ける耳と信念を持った批評家が出ない限り、文楽の客席はファンクラブの拡大版となって、今後は限りなく幼児化する気がしてならない。

2012年5月18日 | 記事URL

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