2012/5/19 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ逝去 | 好雪録

2012/5/19 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ逝去

20世紀最高の大歌手・ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの死
文字どおり「巨星墜つ」、である。

声楽家には舞台生命の短い人が多い。

マリア・カラスはその不摂生が影響して、1950年4月にアイーダを歌って登場、1962年6月にメデアを歌って去るまで、ミラノ・スカラ座出勤の全盛期はわずか12年に過ぎない。彼女よりもっと短期間で消えて行ったスターたちも沢山いる。
1970年にヴィーン国立歌劇場で初めて夜の女王を歌って以来、現在も同座で主役を張り続けるグルベローヴァのような例は稀有なのである。

グルベローヴァもそのうちに入ろうが、オペラを歌いながらリートも得意とするドイツ語圏の歌手には、摂生を心がけて歌手生命を長く保つ例が少なくない。言葉を音楽によって活かしつつ人生の諸相を歌いなしてゆく営為には、どこか謡にも通ずる、加齢と共に深まる藝味があることは確かだ。

ドイツ・リートの熱心な聴き手ではなかった私も、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌は実際に一度だけ、聴いたことがある。
1983年10月3日(月)の東京文化会館。
この日のプログラムはシューマンで、前半は作品番号24番の〈リーダークライス〉。後半は〈詩人の恋〉。ピアノ伴奏はハルトゥムート・ヘルだった。

〈詩人の恋〉はシューベルトの〈美しき水車屋の娘〉と並び、高校時代それこそ「レコードがすり切れるほど」聴いた、大好きな曲だった。それらの愛聴盤は、若くして死んだフリッツ・ヴンダーリヒの歌ったものである。今に至るまで、それは変わらない。
私はそれまで、〈詩人の恋〉を実際に聴いたことはなかった。ほかの歌手、たとえばロラン・バルトが賛美するシャルル・パンゼラの残したすばらしい録音も折に触れて聴いてはいたが、やはり実演となれば格別で、脳裏にしみついたヴンダーリヒの歌声に無駄な影が射すのは嫌だった。
フイッシャー=ディースカウはヴンダーリヒよりも5歳年上である。
同時代の、早世したヴンダーリヒが及びもつかない業績を挙げた大歌手の〈詩人の恋〉を、私の聴き初めにしようと思ったのである。

当時既に58歳のフィッシャー=ディースカウは、それより数年前まで、ちょっとしたスランプだったように思う。加齢に伴う藝術上の転機もあるだろうし、何よりも、声のコントロールのむつかしさは想像に難くない。
年を取るとインナーマッスルが衰え、声の支えが弱くなる。声帯そのものが急激に老化することは少ない(むしろ年を取って声が安定する人もある)にせよ、筋力の老化によって声の制御が効かなくなって、歌手は衰えを見せることが多い。
フィッシャー=ディースカウは知的抑制の効いた歌い手だからそんなにボロは出さないけれど、それでも録音やラジオで聴く限り、藝が痩せ、生命力が減じた、と私は思っていた。
だが、このころから雲が切れたようにその「荒れ」が取れ、何か透明な、突き抜けたものを取り戻していたようだった。
そんな中で聴いたのが、彼の歌う回春の曲〈詩人の恋〉だった。

当時の手控えを見るとアンコールは5曲とあり、〈楽に寄す〉を聴いたようにも思うが、残念ながら曲名は控えていない。そのアンコール曲にかえって余裕があった、とも記してある。
〈詩人の恋〉については、「過去の彼の、光った表情のある歌を聴いてみたかった」とある傍ら、「以前の録音で聴くうるさすぎるほどの表現は鳴りを潜め、表情のある声がいくぶん穏やかになった」とあって、あとは取るに足らない印象評しか書き留めていないけれども、その晩、私はとても満足した。
今も、上野の文化会館1階席27列13番の席から見上げたフィッシャー=ディースカウの姿、その舞台の空気感は、まざまざと憶えている。
濃密でもなければ、過剰でもない。声の広がりに余裕があり、歌の表現にも遊びがある中、くまぐまの空気までが透明で、朝日に浮かぶ塵すら清らかに見える室内にいる、そんな〈詩人の恋〉だった。

初めて聴いたこの夜が、私にとって彼のフェアウエル・コンサートだったのだ。

その偉業を偲ぶにはまったく事欠かないほどあまたの名録音を残してくれたフィッシャー=ディースカウだが、私が彼を確実に偲ぶよすがとなるのは、やはり、29年前の晴れた秋の夜にたった一度だけ聴いた、澄みわたった星空のような〈詩人の恋〉の記憶と印象である。

2012年5月19日 | 記事URL

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