2012/5/27 吉田秀和逝去 | 好雪録

2012/5/27 吉田秀和逝去

吉田秀和さんが亡くなった。

親族による密葬が済んでから後の発表ということで、今後、吉田さんの考え、書いたことについては、長く反芻することになるだろう。
批評家として、私の最も仰ぐ巨匠だった。

専門ジャンルも年齢も異なるし、あえて伝手を求める性分でもないので、演奏会場でこそ長年たびたびお姿を見かけはしたものの、私は謦咳に接したことはない。

ただ、忘れられないことが一度だけある。

2007年11月19日の夜、初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、ギドン・クレーメルのヴァイオリン、クリスティアン・ツィメルマンのピアノでデュオコンサートがあった。
プログラムはすべてヴァイオリンソナタ。ブラームスの第2番と第3番。最後にフランク。
それはすばらしい演奏で、特に冷静かつ芳醇なフランクは「フランスのエスプリ」なんていう月並みな表現では括れない、純然たる音楽性で成り立ち、知情意の調った、美しい構造物だった。

休憩時間に私は必ず一杯飲む。
混んでいる中、なぜか一つだけ人の集まらないテーブルがある。
人をかき分けそこに立ち寄ると、目の前に長身の吉田さんがおられた。

衣服には構わない風だけれども誠に立派な立ち姿。
演奏会が一段落してほーっ、としておられても、眼の力が生き生きと、並みの老人ではないのだ。

吉田さん、酒ではなくコーヒーをお飲みだった。
カップに入れたクリームの空き容器を捨てようとして、屑入れと思ってかテーブルの上の、新しいクリームが入っている小籠に入れてしまった吉田さん。お連れの方にそれを指摘されると、「こりゃ、失敗しました」というような表情で、一部始終に見入っていた私に向かい、実に良い顔でニコリとなさった。

それはもう、何とも言いようのない、とても素敵な笑顔だった。

石川淳がただ一度だけ、市電の車内で森鴎外の姿を見たことを一生の宝とし続けた。
私は、その時の吉田さんの風采と笑顔を、終生忘れまいと思う。

2012年5月27日 | 記事URL

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