2012/6/24 若手役者の能を見ることとは?~大島輝久の〈熊坂〉 | 好雪録

2012/6/24 若手役者の能を見ることとは?~大島輝久の〈熊坂〉

喜多流の大島輝久は将来の楽しみな若手で今年36歳。シテを演ずる舞台には毎回できるだけ欠かさず足を運びたいと思い、また、そのように心がけている。本日の同流職分会で彼は〈熊坂〉を演じた。

前半の静止の充実。後半の型沢山の鮮技。彼の年配でこうした前後対照の稽古の程度を測るに〈熊坂〉は恰好の選曲である。一年に一度の職分会主演。「この一番」に奮起しない役者はないだろう。

遅れて場内に入ると、すでに前シテが舞台中央に坐しクセに掛かるところだった。ちなみに、地謡で謡われるこの部分の末尾「心の師とはなれ、心を師とせざれ」は『涅槃経』要文の引用といわれるが、侘茶の始祖・村田珠光の「古市播磨宛消息」末尾に知られる名文句と同じである。

大島の下居姿はスラリとしており、立ってそのままスルスルと幕に消えるハコビにも停滞がない。後場の激しい型も整然とこなされ、見る人たちの評価は総じて高かったようだ。
嫌味のない、気持ちのよい出来だったと、私も思う。

けれども、私はまた、ここでちょっと考える。
たとえば後シテが出て一ノ松に立ち「切り入れ攻めよと前後を下知し」と欄干際にツカツカと出る。
この出かたで、良いのだろうか?

ここは天下の大盗が巨万の富を奪おうと兇悪どもに叱咤し乱入する部分だ。大島が二、三足ツツッと出た動きは整然としているけれども、いわば欄干の手前でキッカリ収まるように割り付けられた動きである。
これは「欄干際に出る」ための型なのではない。「切り入れ攻めよ」と勢い込む型である。
つまり、たとえ目前に欄干があろうが、それを折りひしぐまでの荒々しさが内在していなくてはならない(だからといってただ欄干を破壊することを目的にする役者がいたらそれは単なる愚者である)。
続く「人の寶を奪ひし惡逆」で舞台に入り常座に立つ。この意気込みも不足している。

私は、ただ斜に構えて重箱の隅を突こうというのではない。
能の型が戯曲や役柄と切り結ぶ的確な表現として働いているか、いないかを判断するには、役者の内的な動きをこうして仔細に見取る作業が見る側に欠かせない、という確信を述べているのである。
その意味で言えば、大島の〈熊坂〉には、身体に関する一種の美学はあっても、型が要求する正確なヴィジョンの把握が欠けているように、私には思われた。

こう言うと、誰かが口を挟みそうだ。
「若手だもの、長い目で見てやって下さい」。

当たり前のこと。むろん、私も長い長い目で見ています。

だが、たとえば大島が若いうち無理して〈井筒〉や〈野宮〉を演じ、あまり褒められた成果を挙げなかったところで、それは当然。役者が生涯掛けて目標とするこうした演目こそ「長い目で見る」べきだろう。
63歳で討死した老盗の役とはいえ、〈熊坂〉は能役者が還暦過ぎて初めて完成させる能だろうか?この曲に要求される「形木」の技は30代で十全に身に付いているべきなのではなかろうか?

こうしたことを顧慮せず、「若手だもの、長い目で見てやって下さい」などと、無責任な言葉は、私は恐くて口にできない。

激しい型が続く後シテ。
舞台正中で立ったまま「熊坂、秘術を揮ふならば」と飛んで一つ回り正面に向いて立つ型。同じく正中で、「反つて拂へば」と正面に、「飛び上がつて」と脇正面に、それぞれ長刀を持ったまま一回転半は飛び下居姿で落ちる型。こうしたところで大島はとりあえず腰が崩れず上体も乱れない。
が、これは「そうできて当たり前」なのだ。

たとえば、ピアノ。
ショパンのポロネーズ第6番変イ長調作品53、いわゆる「英雄ポロネーズ」。
この中間部ホ長調のトリオに、左手のオクターブでひたすら「ミレドシ」を連打し続ける有名な難所がある。単純な反復なのだが、ちょっとやそっとの練習を積んだ程度では弾きこなせない。
では、ここをいちおう音の粒を揃え、強弱を豊かに弾けたら、どうだろう。
そんなこと、楽譜に書いてあるのだから「プロならば弾けて当たり前」。そこだけ取り上げて褒めるのは的外れでしかない。
本当のピアニストであればそこが終点ではなく、そここそ出発点。
この技術を基礎に、いかにして個性的な演奏が作り上げられるか、が問われる。

われわれを取り巻く能評は、いわば、素人ピアニストを評する程度の言葉に満ち満ちていないか。
「鐘入りは見事に決まった」。
「序ノ舞で袖が綺麗にかづけた」。
そんなこと「だけ」を見て、書いて、一体何になるのだろう?

本当に「長い目」で大島の〈熊坂〉を見るのならば、今回の整然とした印象はむしろ「良くない傾向」として批判的に捉え直すべきではないかと、私は考える。世阿弥の言う「形木」とは木版の版木のことだと言うけれども、これは「判で押したような整頓」を意味すまい。能役者の支えとなる「形木」とは、どこからどう押されようと決して崩れない堅固な身体技。それにはまず、内的な力感を滾らせ、型はこれを嵌め締める外圧ともならねばなるまい。
一ノ松で正面へ出る動きひとつにしても、欄干の手前でキチンと止まる静止ではなく、ことによったら白州へ落ちかねない衝動。これこそ36歳の〈熊坂〉に求められることであり、それは〈熊坂〉という戯曲を正しく生動させるために必要不可欠な身体のありようなのである。

「形木」の技に関して現代の能楽界で最も良く知り抜いているはずの塩津哲生に師事する大島である。彼は自分の身体技について、どういう「離見」を持っているのだろうか?

本当の意味で親切な批評とは、そうした役者の「離見」とも正しく鉾先を交え、役者と観客の双方に裨益するものでなければならないだろう。
私はそのような批評を書いてゆきたいと、最近ますます強く思う。

2012年6月24日 | 記事URL

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