すっかり枯れた中に花の香りの残るような風情。
西川扇藏が素踊で見せた清元〈山姥〉が滋味掬すべき名演だった。
緞帳が上がり、舞台に片膝ついて半身となった姿のキリリ引き締まったすばらしさ。
キマリの廉々のしこなしはすでに角が取れた柔和なもので、「つくらふ花の仇櫻」、そのあと合ノ手の振リなど、むしろキッパリ決まることを避けるかのように流してゆく。
これがたとえば、吉村雄輝だったら決してそうはしなかったものだけれど、それは流麗な中にもノリをキチンと刻んでゆく清元と、ノリを内在化させて外部に明確に打ち出すことを嫌う地歌との違いなのでもあり、扇藏はそのノリやキマリをすべて身体の中に納めているのである。従って何でもない間がキチンと生きており、全体に弛緩の影もない。
ことに優れているのは全体に女形舞踊、しかも老女の心が一定していること。「爺さま上下わしゃ丸綿で」あたりにそうした〈山姥〉らしい味わいが充分だったのは面白かった。
2012年6月 6日 | 記事URL