2012/6/29 ミュージカル〈サンセット大通り〉 | 好雪録

2012/6/29 ミュージカル〈サンセット大通り〉

いろいろ書きたいことも落としているのですが、ちょっとPCの具合が悪く、後日まとめて記すことにします。山本東次郎氏をお招きした池袋コミュニティカレッジの古典藝能塾など、大きな成果がありました。

さて、私にとって期待作だった表題の日本初演を本日見物。

「さすがロイド‐ウェバー男爵の自信作」というべき音楽の風格は、まさにグランドオペラか大歌舞伎。マーラーをもっと甘く崩した導入曲(このメロディーは第1幕で執事マックスが大女優ノーマを讃えて歌う"The Greatest Star of All"に反芻される)からしてこの演目の頽廃感をよく示している。もっとも、映画に細かく仕組まれていた設定はだいぶん省略され、それだけ人物の性格が大雑把になっているのは舞台化の宿命と言えようか。

こうした大作ミュージカルでは、役者の柄が大きくなくては持たないのが正直なところ。
安蘭けいの低音が効いて渋みのある美声は予想以上に良く、歌もなかなか結構で感心もしたのだが、「それ以上」の嵌まり役感に欠けるのは仕方ない。私が期待するのは鳳蘭か麻実れいのノーマである。両人ともこの大役に意欲を燃やしていると仄聞するだけに、今後どうしても見てみたいと思う。それだけ有望な作品なのだ。

ジョー・ギリスの田代万里生はリリカルで高く突き抜ける声の魅力、小動物のような愛らしさが女性のファン層を拡大している半面、いかにも「草食系」の品の良さがこのドロドロとした愛憎劇の深いところと相容れないもどかしさがある。1幕目幕切、ノーマの強烈な哀訴に負けたジョーが彼女をかき抱き(この「お姫さま抱っこ」はロンドン版にあった「型」の由)階段上に消える件は音楽的にも演劇的にも性愛の激情が渦巻くべきクライマックスなのだが、ここの田代はまるで高校の演劇部で先輩の相手役に立った下級生のようだった。

※ちなみに、安蘭の豪華な衣装に比して田代の服が貧弱すぎる。ワイシャツの首回りや襟高がいい加減で、宣伝用スチールではウェストコートからベルトバックルが覗く醜態を見せていて恥ずかしい。
また、これは余談というべきだが、劇中「お姫さま抱っこ」に先立つノーマとジョー2人だけの大晦日パーティー。『天人五衰』で久松慶子が計略を巡らし安永透ひとりを麻布屋敷のクリスマス晩餐に誘いその贋物性を暴く名場面は、三島由紀夫が映画版のここから思い付いたのではないかと私は夢想する。つまり、性格付けは異なるものの、異形の女怪・慶子がノーマ、打算の贋物・透がジョー、という見立てである。

渋いところを見せたのは、執事マックスの鈴木綜馬と映画プロデューサー・シェルドレイクの戸井勝海(戸井は酒場の給仕も兼演)。
男ぶりが良く歌がすばらしい(先述の"The Greatest Star of All"は高音が辛い難曲)鈴木は、主人役の安蘭よりむしろ適役で、もしかすると今回の舞台で最高の出来は彼だと言うべきかもしれない。ジョーがノーマからの「逃げ場」として愛するベティ・シェーファーの彩吹真央は人柄は良さそうだがいかにも花がない。ノーマ旧知のデミル監督は浜畑賢吉。出番も歌いどころも少ないものの、彼ぐらいのキャリアがないと舞台は締まるまい。東宝ミュージカルならば昔の岡田眞澄、今の村井国夫が扮する役どころだろう。

今回、総体に隔靴掻痒の感が強かったのは、日本独特の「人間関係」で成り立つ舞台のつまらなさが原因だと思う。
プログラムに、ホリプロが版権を入手し配役権を手にするまでの経緯が書かれていたが、作品本位で考えればそれは本末転倒、作品が「ホリプロのもの」となったがためその人間関係の及ぶ範囲で座組みがなされた言い訳とも読み取れよう。安蘭に田代という配役は「ホリプロの手駒」から弾き出された結果であって、「これしかない」ベストなのではない。
ミュージカルの関係者やファンたちは版権版権と訳知りのようなことをよく口にするけれど、事実そうでこそあれ、鑑賞者の立場でそうしたギョーカイの現実肯定に傾くようなことは言わないほうが良いと私は思う。

ミュージカル〈サンセット大通り〉は文句ナシの名作、ただし厳しく役者を選ぶ大作である。
近い将来、鳳蘭か麻実れいの主演で見られることを、たとえ夢想でも良い、今から強く期待しておくことにしよう。

2012年6月29日 | 記事URL

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