2012/7/16 大久保と參鷄湯 | 好雪録

2012/7/16 大久保と參鷄湯

今日は金春流若手の「座・SQUARE第15回公演」を見たあと、午後5時前だったので一人ゆっくりとお食事。

新宿駅東口改札を出て左に徒歩15秒。「ベルク」という名店がある。

生ビールもグラスワインも1杯315円からと廉く、ほかに沢山の美味が揃っており、オススメである。ちなみにここは、色々な意味で今どき珍しい気骨のある店。今日も代々木公園で脱原発集会帰りのお客だか、何人かそんな話をしていたのを聞いた。座席もあるけれど立ち飲みが良いので、何するともなく耳に入る色々な人たちの色々な会話を聴いているのが好きなのだ。たまさか、私がいい加減な心持ちになっているのをご覧になっても、何卒お目こぼしを願いたい。

今日もおめでたく紅白の葡萄酒を2杯ずつ頂戴。適当な心地に出来上がったので、さて河岸を変えて晩餐をと思い立つと、鷄料理が好きなものだから何となくそんな気持ちになり、暑中でもあり、隣の大久保で參鷄湯(犬料理の補身湯といい鷄の參鷄湯といい彼の地では暑気払いの献立と聞き及ぶ)がよかろうと足を向けた。

大久保は懐かしい。

あれは大学院修士の2年だから1988年の4月から長きにわたり、大久保の男子校・海城学園で国語科の非常勤講師を勤めた(2月に校長面接に赴いた日、その足で歌舞伎座に行き、大好きな十三代目仁左衛門の菅丞相を見たのでよく憶えている)。大久保は週に3日通勤した駅である。怪しげな講義で子供らを煙に巻いていた割にまことに楽しく過ごした日々であって、教え子の何人かとは今も交流がある。
この頃の歌舞伎といえば、歌右衛門が最後の光芒を放った時期である。土曜日の授業だと放課後、歌舞伎座の幕見に直行することが間々あって、何かと厳しい現在ではご法度かもしれないけれど、教壇でそんな話をするとついてくる生徒が何人もいたから、彼らの中には歌右衛門の花子や政岡や定高や玉手や八ツ橋や靜御前や八重垣姫を見た者も多い。芝居を見たあとは歌右衛門と話すのが例だったので、シャレに生徒たちを楽屋口に連れて行くと、学生服の高校生ズラリ10人以上に迎えられた歌右衛門のテンションがすっかり上がってしまい無類の上機嫌、など、いま思ってもかなり可笑しい。

海城を12年、どうやら無事に勤め上げた年度末の日に、歌右衛門も亡くなったのだ。

現在お付き合いの絶えているその頃の生徒で、何かのきっかけでこれをご覧になった向きは是非ご一報願いたい。大抵は、おぼえています。

当時も大久保・百人町は外国人の多い町だったが、今日ひさしぶりに降り立って驚いた。
聞きしにまさる、とはこのこと。作り物のような美貌の韓流アイドルに因んだグッズを売る土産物店に女性たちが群れているさまは、まるで韓国である。
まあ、それだけ、韓国料理のおいしい店も殖えたのだろうから、好きな人にとっては便利なはずだ。
私は肉とニンニクがあまり好きではないので、いわゆる焼肉の類は滅多に食べない。ただ「薬喰い」と称して半年に一度ほどは滋養に摂ることがあり、食べれば食べたでおいしいものである。
だが、ニンニクの匂いというものがどうにもダメ。

今日は參鷄湯だから心配していなかったのだけれど、突き出しに出されたキムチとカクテキ、ふだんなら食べないものを、ちょっと箸を付けると辛い(辛いものは、好きです)中にもやはりご当地ならではの香気と風味があり、結局全部食べてしまった。この店の參鷄湯は何年も前に一度食べたことがあり、中々の味なのだが、キムチとカクテキは伏兵だった。

というわけで、深夜に至ってもまだ残り香が消えない。

參鷄湯もキムチも肌には良いらしいから、明朝はさぞかしツヤツヤしていることと思うが、どうも「極熱の草薬」を服した『源氏物語』帚木の巻の博士の娘になった気がして、これまた思わぬ「薬喰い」になってしまった次第。

以上、下らない話題で、恐れ入ります。

2012年7月16日 | 記事URL

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