2012/8/14 「香盤」考 | 好雪録

2012/8/14 「香盤」考

一昨日は実に呆れ果てた海老藏の〈伊達の十役〉に辟易。
昨日はここにも記した大松嶋との「再会」のあと、夜は六本木で原田優一のライブ観覧。
盆中とて、本日は「ご静養」である。

で、ふと思ったのは「香盤(香盤表)」の由来について。

演劇関係者には周知のとおり、「香盤」とは上辺に場割、左辺に出演者名を記し、交差する枡=各場面ごとに当該役者出演の有無や扮する役名を書いた舞台進行表のことである。

試しに調べると、語源について諸説紛々、一定していないことに気付かされる。
以下、簡単にその是非を考証してみた。

【説1】
★香道の「香盤」からきたもの、とする説。

香道では組香のかたちでさまざまの聞き分け(=嗅ぎ分け)を試みる。
浄瑠璃・歌舞伎で有名な「十種香」(「種」は「火」扁に「主」が正しい)がその代表だが、その聞き分けの時、1人12枚の唐木の小札を投票に用いる。この小札は小箱に収められ、さらに小箱10箱を一組として長箱に収める。

さて聞き分けの時、初めに薫かれる試香、本番として薫かれる本香、それぞれを雲母片で作られた「銀葉」に載せて聞香炉で薫く。薫き終わるごとに薫き殻を載せる木製長方形の台があり、これを「試香盤」「本香盤」と呼ぶ。両香盤は本来独立した道具だが、収納の利便を兼ね、香盤そのものを先述の長箱にかぶせる蓋として作っていることが多い。 

この「香盤」が語源だとする説明を読むと、「香盤の上面が枡形に仕切られていて、銀葉を載せる丸い菊座(本格的には青貝で作られる、断熱を兼ねた受け座)がその中に置かれているので、この見た目から起こった」としている。

これは間違いである。

確かに、本香盤で最高12の菊座が上下2列に6個ずつ配列されてはいるが、香盤の上面はまず無地である。枡目が引かれた中、菊座それぞれ区々収められるようデザインされたような香盤はごく稀、というより、ほとんど類を見ない。

舞台現場で用いる「香盤」は桝目式の記入表だから、桝目がなければ語源としては意味をなさない。その意味で、「香道の香盤」を由来とする説は否定されるべきである。

【説2】
★寺院でしばしば見られる「常香盤(じょうこうばん)」からきたもの、とする説。

後述のとおり、私はこれが正しいと考える。
が、ここにも多少の誤解が生じている。

「常香盤」について、「ここに線香を薫いて時計代わりに用いる」との説を成す者があるが、これは「常香盤」の何たるかを知らぬ言葉である。

確かに、線香を時計代わりに用いるのは禅宗の坐禅の際の常套であり、後世、場末の遊女が商売の換算に用いて「線香代」の隠語も起こるけれど、これら線香を薫くのに「香盤」は用いない。

現在でも浄土真宗では常用する方形の大香炉。ここに灰を均し、型押しした抹香を置き、端に火を着けると、長時間に亙り薫じ続けて、仏前には常に香煙が絶えない。末端に糸で鈴を吊るす仕掛けをしておけば、その落ちる音で香が尽きたのが分かる。
これが「常香盤」であって、上には細格子に組んだ蓋をしておく。

つまり、方形の中に格子の桝目が整然と並んでいるのが「常香盤」を上から見たさまなので、ここから起こったのが芝居道の「香盤(表)」なのである。

江戸時代にあまたあった真宗寺院は人びとに身近な存在だったし、寺院専用の使用品でもなかった「常香盤」は、生活に親しい道具だった(香道の「香盤」は決してそうではない)。
だからと言って、安女郎の「線香代」とこれを関連付けてはいけない。

演劇用語「香盤」とは、あくまで「常香盤」の蓋の桝目から来た言葉であるのは、芝居の枡席から起こった座席表のこともまた「香盤」と別称するところからも明白である。
つまり、「香道の香盤」に貼られた菊座にあたる観客がいようがいまいが、空いた枡=座席を並べた桝目の図表=客席表を指して「香盤」と言うのも、枡目そのものに意味があってのことなのである。

ただし、落語界では藝人身分の上下を「香盤」と称して、「香盤が上がる」「香盤を下げた」などと用いる。
この語源については、香道の香盤も寺院の常香盤も、ちょっと関係がないようだ。

後考を期さねばならぬところだろう。

【補考】
香薫炉としての「香盤」の原義についてはもっと博捜する必要があろうと思われる。たとえば『日本国語大辞典』の「香盤」の項に「こうろ(香炉)に同じ」として引かれる例文を見ると、「香盤」の形態は一様ではないようだ。同書「常香盤」二項目に「花街で、芸娼妓が客席に出た時間を計る線香をともす台」と説明し、例文として浮世草子『傾城色三味線』(1701年刊)の「宮川町の子共やの主、不断常香盤もる、舞台芸不器用で、隙日のおほい若衆に」を挙げる。寺院を中心に用いられた「常香盤」が遊里でも時間計算に使用されていたことを示す一例だが、この例文を見る限り「線香をともす台」ではなかろう。すなわち、「常香盤もる」とあるのは、(舞台での演技も下手で男娼としての人気も低い蔭間に課せられた罰労として)「常香盤に(樒の葉を乾燥させて粉末にした)抹香を盛る」意味に相違ない。線香は「立てる」または(浄土真宗式に香炉上に横たえて)「置く」もので、「もる」とは言わない筈である。(2012年8月17日追記)

2012年8月14日 | 記事URL

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