2013/8/14 中村七之助の〈鏡獅子〉初日 | 好雪録

2013/8/14 中村七之助の〈鏡獅子〉初日

歌舞伎座第1部と第2部を見る。第1部〈鏡獅子〉は今日から七之助の番である。
昨日までの兄・勘九郎と同じ「仕込み」のはずだか、まあ、何と個性も行き方も違うことか。
これだから歌舞伎は、舞踊は、面白い。

勘九郎の、ことに前シテの詳細は昨日の本項をご参照願いたい。
そこで「欠点」として目についた「振りの分節化」が、七之助の場合ほとんど目につかない。

これは、どちらが巧いとか拙いということではなく、「七之助は真女形としての身体の生理で踊った」ということだろう。
つまり、型やイキや振りに支えられた個々の舞踊言語を忠実に追いつつ全体を構築する勘九郎よりも、「女小姓・彌生」という役柄として、その役を演ずる女形として、七之助は〈鏡獅子〉を踊った、というべきかと思う。

どちらが〈鏡獅子〉の正攻法かと言えば、技術本位の勘九郎、と評するのが一応は正解、だろう。

だが、「歌舞伎役者の踊り」ということで言えば、ことに真女形の場合は、後者にも意味がある場合も多い。七之助がこれまで手掛けた〈娘道成寺〉白拍子花子、〈将門〉瀧夜叉、〈關扉〉小町、どれも同一の路線で成功した。
そして〈娘道成寺〉、〈将門〉、〈關扉〉、どれも「ただ技術的に巧いだけでは面白くない」大役ばかりだ。

私は正直、〈鏡獅子〉は技術の産物だと思っている。それに基づいたのが昨日の勘九郎評である。だが従来、歌右衛門、玉三郎、当代福助といった「真女形の〈鏡獅子〉」の系譜も生まれ、水脈をなしてきた。
近年相次いで手掛けた玉三郎、福助、どちらも真女形として技巧派ではあっても、舞踊技術で見せる役者ではない。にもかかわらず、「真女形に徹した役づくり」という点で〈鏡獅子〉前シテを「見せる」こともできた。
※歌右衛門は女形舞踊の技術という点で最高度の資質を持っていたから、「真女形の埒外たる後シテのみ評価外」ということで、また別に扱うべきかもしれない(映像が残っていないのでこれ以上は検証もできない)。

兄弟で比べるのも酷ではあるけれど、今月はそうした趣向なのだから忌憚なく評することにしよう。

勘九郎と比べて七之助は、真女形として成長してきた経歴に加え、技で踊り込んでゆく性分ではない。たとえ「技本位」を志向しても兄に比べてアラが出よう。
その意味で、振りを克明に追わず、ある場合は流してでも、前場全体の流れを重視した。
意地悪く見れば技術的には「逃げ手」なのだが、それゆえ、兄の彌生には見られなかった「役柄としての個性」が一貫して、前場がひとつの「芝居」になった。

彼が〈鏡獅子〉を踊るには、これが最も賢明だったに相違ない。

七之助は花子でも、瀧夜叉でも、小町でも、身を責めることについていくぶん甘く、時として粗雑になるきらいはあっても(この3役とも、本当に踊り込めば彌生と同じくきわめて至難なレベルに達してしまう)、二ンを生かし、それぞれの芝居の「役柄」になることには成功していた。

技術で構築する父や兄(祖父・17代目勘三郎と芝翫も卓越した技術の人だった)の行き方とは違った前シテだったが、七之助の藝を生かすには「これしかない」選択だったと思う。
「振りを克明に追わず、ある場合は流してでも」役に見える、とは、「舞踊だけを専門とする舞踊家」にはまず望めない、歌舞伎役者だけが可能な「舞踊」のありようなのである。

七之助は謹んで踊り進める中、よく見ると足さばきに迷いがない。
そして、緊張しつつもどこか大胆に開き直っているハラの確かさがある。
「朧月夜や時鳥」の目づかいは、「振り」として考えに考えたため逆に不自然に力んで見えた勘九郎と比べ、七之助はごく自然な中に充分の色気を見せた。「振りを克明に追わず、ある場合は流す」ことの効用が、こうした部分にハッキリ顕われた。

後シテはもともと無理は承知、工夫して無難に済んだというところ。
これは伝え聞く歌右衛門も、何度も見た玉三郎も、真女方とて仕方がない共通点。
七之助は勘九郎と同じく、二畳台に上がってからも極力下半身を固定してブレないように務めてはいたが、身体軸が兄に比べ細く弱いため、後半は粗くなるのも辞さず思い切って頭を振った。不可抗力だろう。

亡き勘三郎は、兄弟の〈鏡獅子〉をどう見たか。
決して、絶対に、どちらも褒めなかったに違いない。

でも、新しくなった歌舞伎座で、こうして2人が競って彌生を踊るのを見て、故人はやはり、とてもニコニコ、嬉しく思っているのではないだろうか。

2013年8月14日 | 記事URL

このページの先頭へ

©Murakami Tatau All Rights Reserved.