2013/8/20 筥崎宮参詣 | 好雪録

2013/8/20 筥崎宮参詣

昨日マチネ、本日マチネ、2度にわたり博多座ミュージカル〈レ・ミゼラブル〉を観劇。
私はこの劇場ではこれまで歌舞伎ばかり、他の出し物を見たことがなかったのだが、レミには恰好の大きさと親密な空間とで、帝劇以上の良い雰囲気である。

博多座の良いのは、3階席の最後尾D列の後ろ手すりに沿った「立見席」があること。
今回も毎回、1名3,700円で発売中の由。
歌舞伎座の一幕見より舞台が近い。リピーターには特にオススメである。

ただ、せっかく九州初上演のレミなのに空席もチラホラだったのは惜しい。
来月の大阪は既に完売、10月の名古屋、11月の帝劇凱旋も同様と予想されるので、今月の博多座は未見の方ことに九州在住の方に、色々な意味で絶好の機会と思う。

残暑の炎天下、思い立って今朝は筥崎宮に参詣。
前回は魁春襲名の博多座観劇の折だったから、早、9年ぶりの再訪である。

筥崎宮は最寄駅が宿からも博多座からも地下鉄で数駅とごく近い。
前回は下車してそのまま社前に赴いたが、今回は逆に、御潮井浜へ足を運んでみた。

このお宮は、「砂信仰」というべきだろうか、「御潮井」と称する浄砂を尊び、神域に玉砂利ではなく海砂を敷き広げるのみならず、近郷の漁農村では塩代わりに清めに用いたらしく、博多名物・祇園山笠に際しても「御潮井」を採り帰る行事がある
その「御潮井」は本殿から海に向かって一直線に伸びた表参道の尽きるところ、御潮井浜から採取するのである。

浜中には愛犬の散歩(斎地とて本当は御禁制のはず)をしている老人もちらほら。
ご免を蒙って、渚に向かった。

渚といっても戦前の1936年だかに早くも護岸工事がなされている。今は足元から階段状に海中に没する仕組みだ。
が、潮時も具合よく、ちょうどその段々が隠れるところまで漣が打ち寄せている。
周囲まったく埋め立てられ、背後には国道3号線の新道。目前には海中高架の都市高速。喧騒に挟まれて、砂浜らしく演出されたのはこの御潮井浜の小区画のみ。
9年前、香椎宮参詣の折も歌枕「香椎潟」の消失を嘆いたものだが、わずかこの数十年でこの惨状。ことに筥崎は、名にし負う「海の宮居」であるというのに。

哲学の側面を有する仏教信仰が、究極、「いかなるところでも成り立ち得る」のと違い、山海森川の清浄と一体たるべき古来の神社信仰は、それが穢され、ひいては失われれば、もろともに消滅するさだめではなかろうか。
明治維新直後の廃仏毀釈の惨禍はある程度は著名でも、国家神道の官僚体制下「神社合祀」と称する合理化と破壊がなされた100年前の暴挙はあまり知られていない。この時、信者たる氏子=在地の人々と、祭祀者たる神社界=管理者たる国家との意識は隔絶していた。
本来ならば最も頼りがいある自然保護の旗手となってもおかしくない神道界から、たとえばいま、原発問題に関する積極的な声が挙がらないのはどうしたことだろう。

筥崎の浜もこうなれば砂は流出する一方、永遠に「吹上」の「高砂」をなすはずはないが、筥崎宮の尽力に相違ない、朝浄めを欠かさない本殿周囲の神域同様、この御潮井浜一帯にも吟味された海砂を随時運び込むと見え、からくも相応に清く綺麗に整えられている。
(花火の燃えがらが散乱していたのは残念。御潮井浜に参入するだに憚りあり。マナーは守りましょう)

「八幡宮」と額を打った朱塗りの四ノ鳥居で参道が海中に尽きる境に、「神聖處」と大書した大制札が砂地を穿って立つ。
その鳥居から始まる表参道としてしばらく、左右に石垣を築いた松並木が延びる。
もう、今にも熔けそうなほど焼け付く陽射しであって、暫時この松蔭でほうと息をつくと、筥崎から博多にかけての浜続き、蒙古合戦の折は元軍に制圧された最前線である。海彼は遥か高麗・唐土。
さすが博多湾から吹き抜ける風は涼しく、何とも言われない心地だった。

そんなこんなで、御浜のありさまはとくと一見。
いざ社参。
制札下の汀で潮手水をつかっていると、不思議や、鳩が8羽、舞い降りた。

さる程に海原や。博多の沖に懸かりたる。唐土舟もときつくり。鳥も音を鳴き鐘も聞ゆる。明けなばあさまに玉手箱。また埋み置くしるしの松のもとの如くに納まる嵐の。松の蔭こそ久しけれ。

2013年8月20日 | 記事URL

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