2013/8/27 〈アイーダ〉東京ドーム公演中止 | 好雪録

2013/8/27 〈アイーダ〉東京ドーム公演中止

昨深夜は大雨の中、難儀して帰宅。
今日は秋晴れというべき爽やかな一日で救われた。

遅れ馳せながら、先日8月24日(土)に朝日カルチャーセンター立川教室で開催された、
「源氏物語の扉」は盛会でした。
馬場あき子さんとの放談と申すべき対談も瞬く間に終わり、ご来聴の方々には心より御礼申し上げます。

さて、今日報道された表題の一件には驚いた。
アレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭の引っ越し公演と銘打った〈アイーダ〉の公演中止

昔のバブル期でもあるまいし、音響機器を介さなければ聴こえるはずもない東京ドームで、マイクを通したオペラを聴くのに7万円も払う奇特なご仁が、きょうび、どれほどいようか?
ポスター等かなり広く告知していたし、テレヴィCMも頻繁だったと聞く。
ともあれ、損失は巨額に上るだろう。

私はヴェローナ式の野外オペラにはまったく興味がない。
ましてや、不思議な音響効果があるという彼の地の古代劇場を活かした催しでもない、悪条件下の日本開催の類似公演は、端的に言えば「見世物」に過ぎないのではかろうか。

バブル全盛期の平成元年=1989年12月に、国立代々木競技場第1体育館でヴェローナ・アレーナの第1回引っ越し公演があり、この時は招待券を貰ったので見に行った。
ネッロ・サンティの指揮、キアーラのアイーダ、コッソットのアムネリス、マルティヌッチのラダメス、カプッチッリのアモナズロと、今や望めない大顔合わせだったが、演奏の印象は拡散してしまってほとんど残っていない。

まあ、そんなものである。

切符を買う人がいるから、公演が成立する。
今回は主催者側が「読み違えた」わけだが、バブルの時代にはそれでも成立した。
ただ、それが果たして、どんな良い影響を残したものか、どうか。
コッソットやカップッチッリが出たのだもの。初台の新国立劇場のなかった当時だったら、上野の東京文化会館で聴いたほうがよほど良かったと今も思う。
当時も高額の入場料、代々木体育館の巨大なキャパシティを考えれば、オペラ劇場と比較にならない豊かな報酬が歌手たちに支払われただろうことは想像がつく。
今回もその皮算用だったはずだが、そこに「より良い観客の涵養」という理想は存在しないように思われる。

「こうしたイヴェント公演は日本のオペラシーンにとってまったく存在意義はない」としたら、これは過言だろうか?

2013年8月27日 | 記事URL

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