2013/8/30 五十回忌追善「初代尾上菊之丞を憶ふ会」 | 好雪録

2013/8/30 五十回忌追善「初代尾上菊之丞を憶ふ会」

例年、8月30日は釜日で京都に行くのだが、今年は予定が立て込み気味ゆえ不参。
今日はまた厳しい残暑のぶり返しで、身に堪えた。

昨日から開催の「初代尾上菊之丞を憶ふ会」の後半を見に、夕過ぎごろ国立劇場へ。

いわゆる追善舞踊会だから、名取連中の晴れ舞台に加え、会主、重鎮やゲストが「これぞ」という出し物を織り交ぜる。
初代以来、さすが新橋と先斗町の師匠だけあって場内は華やか。
先代菊之丞の墨雪と当代とがキチンと指導しているさまが手に取るように分かる、流儀の特長を生かした見応えのある舞台が続き、予想以上に楽しめた。

菊之丞は尾上菊之助と2人で文楽座の義太夫(呂勢大夫・清治ら)を地に〈式三番〉、いわゆる〈二人三番叟〉を踊ったが、冒頭に置くべき出し物を大喜利に置く違和感は違和感として、同年輩の若手が連れつ縺れつ踊るさまは心地よく、2人が巧まずして持っている諧謔味がスパイスになって、素踊りながら芝居気のある好感度の高い一番になった。

墨雪のワキ、京のシテによる長唄〈石橋〉も品格が高い。墨雪は先代の没後、先代藤間勘祖に師事したというが、なるほど先代勘祖のスラリ無駄のない怜悧な藝が、あまり腰を入れ過ぎたり膝を折り過ぎたりしない墨雪の自然体のカマエに活きていることを実感。
京もその伝を受けて、藤間藤子や花柳壽南海のようなドッシリ重心の低い堅牢な踊りではないけれど、女性舞踊家にありがちな基礎技術の脆弱さは感じられず、体幹の徹った立派なものだった。鬘は唐輪だろうか、紫紺の着物を裾短く着て文庫に帯を締めた姿も大いに結構。

驚かされたのは尾上菊紫郎の荻江〈山姥〉。
これはもう、今宵の白眉と称すべき上作である。
袴付の素踊りだが、冒頭いちおう山姥らしい老いの振りを的確に見せるとはいえ、全体に色気を重んじ、歌舞伎の殺し場の下座に用いる「待宵は」の件で見せる孤閨の傾城ぶりの凄みが素敵に匂い立つ。
ドッシリとした構えは揺るぎなく、目づかい、足づかい、どこをとっても隙がない。
初代の振りも良く出来ているせいか、これは本当に心ゆくまで藝を堪能した一番だった。

〈時雨西行〉で西行を踊った藤間勘喜代も大したもので、男髷の鬘、薄墨色の着付に後見結びの帯という男立ち標準で花道を出た時の風格。踊りの手ひとつひとつが貧乏揺るぎもしない堅固な藝。これも初代の振りの一つか、塗笠は用いず扇を開いたまま右手に持って出た工夫も優れている。

能もそうだが日本舞踊もその世界でしか知られていない老巧の名手がいくらもあって、そうした踊り手の藝に触れられることがこうした舞踊会の収穫。
8月の最後に当たり、本日は良いものが見られて幸いだった。

2013年8月30日 | 記事URL

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