2013/12/30 復曲能〈墨染櫻〉再演決定 | 好雪録

2013/12/30 復曲能〈墨染櫻〉再演決定

ご無沙汰を重ねるうち、残すところ今年もあと1日。
吉例により明日・大晦日には1年を振り返り、2013年に接し得た能・狂言、総数約100公演の中から傑作選を試みようと思います。

さて、このたび発行の『おもて~大槻能楽堂会報119号』に告知され、私も別途ツィッターにご報告申したとおり来年度(2014年度)の公演からお知らせです。
2009年3月に「塩津哲生の会研究公演」(シテ:塩津哲生/補綴・演出:村上湛)として初演された復曲能〈墨染櫻〉が再来年、2015年に再演されます。
 
  【大槻能楽堂研究公演】 
  2015年2月7日(土)午後2時開演 大阪・大槻能楽堂
  ★復曲能〈墨染櫻〉 補綴・演出:村上湛
   シテ:大槻文藏/ワキ:宝生欣哉/アイ:善竹隆平
   笛:藤田六郎兵衛/小鼓:大倉源次郎/大鼓:亀井広忠/地頭:片山九郎右衛門
  ★冒頭に講演(40分)「花の変容~完曲復興〈墨染櫻〉」:村上湛

2009年の初演時は若手研究家の田草川みずき、井上愛、両女史にご協力願い明治8年(1875年)5月11日に改作・初演(「芝飯倉三丁目金剛催(金剛唯一のシテによる5番能)」『東京日日新聞』5月8日付公告「5月11日能組」→国立能楽堂『明治の能楽(一)』+八木書店『梅若実日記』第三巻・同年5月11日条)された金剛流現行版に到る中世以来の〈墨染櫻〉諸本を校訂。最も劇的・修辞的に優れた元禄11年(1698年)11月「江戸・田方屋伊右衛門」板行の400番外100番謡本所収本文をもとに私が補綴を加え、上演本を作成しました。
従来「原作の〈墨染櫻〉は[亂拍子]を踏む能」と理解されていますが、戦国期までの謡本を見る限りそうとは断定できません(構成上は金剛流現行版と同じく後場[クセ]から[ワカ]に続くため[序ノ舞]を舞うものと考えるべきでしょう)。[亂拍子]を挿入するのに構造上あらまほしき[クセ]アトの([ロンギ]+)[次第]は現存諸本の内では江戸初期(貞享年間)の福王系番外謡本が初出。もっとも、7代観世太夫宗節の代まで観世座に通行していた〈檜垣〉の[蘭拍子]は[クセ](+[裾グセ])直後に[次第]を置かず踏み出すかたちですが、[亂拍子]の能の根源〈道成寺〉に見るとおり、やはり[次第]から[亂拍子]に接続したほうが自然なわけで、江戸時代の〈墨染櫻〉改定はそれを鮮明に狙ったものと理解されます(謡本に「ラン拍子アリ」と明記されるのは元禄版が初)
現在シテ方5流の中で金剛流占有曲となっている〈墨染櫻〉は、校訂して明白になりましたが、伝来諸本と随所で異なる独自本文というべき改作形です。とはいえ、明治の新規編入後、昭和5年(1930年)刊行「金剛流昭和版」謡本には除かれて収録されないなど同流でも「現行曲」としての地位は不安定でした。戦後、昭和53年(1978年)3月19日に2世金剛巖によって本式に流儀の演目に認定・上演(「雑誌『金剛』100号記念能」)されるまで、明治初演以来ほぼ100年の間に5回(1875年、1881年、1927年、1947年、1949年)の演能に限られています。

なお、現在は金剛流周辺で「〈墨染櫻〉は諒闇=天皇崩御の喪中の能」と言われるものの上演史上その根拠に乏しく、改作後も明治天皇崩御の折は非上演。昭和2年(1927年)5月21日(名古屋能楽倶楽部能)に大正天皇崩御を悼み金剛右京氏慧が生涯ただ1度だけ舞ったのが「諒闇の能」としての演能初例といえます。
平成元年(1989年)4月21日・国立能楽堂第134回定例公演(シテ:豊嶋訓三)が今のところ東京での同流上演の最後と思います。たまたま時あたかも先帝崩御直後ながら、これは前年9月19日の昭和天皇吐血・病臥に遥か先立つ1年以上も前から決定された番組ですので、もともと「諒闇」を意識した企画ではありません。(その後、シテ・豊嶋訓三による金剛流〈墨染櫻〉は平成2年=1990年にNHKで別途テレビ収録されています。この時すでに諒闇は明けていましたが、亡き昭和天皇の誕生日・4月29日に合わせた放映は「先帝を偲ぶ」趣向として秀逸でした)

金剛流明治新版の原作に相当する完曲〈墨染櫻〉は、江戸時代どの流儀にも公的には伝承されていません。明治期の金剛流での復興事情も不明です。改作初演者・金剛唯一(1815~84年)が意慾的だった当時の仕事で、原作の3分の1を切り捨て全体に添削を施した大胆な処理は「新時代」を迎えた進取の顕われと解されます。
ちなみに、観世清孝や宝生九郎知榮が復帰し皇室の保護が加わって東京の能界が息を吹き返すまで(1876年=明治9年4月4日・明治天皇の岩倉具視邸行幸時の天覧能から、1878年=明治11年7月5日・英照皇太后の青山御所能舞台開設をその転機と考えます)、明治10年前後の能楽界は本拠地と能舞台を保持した「金剛唯一と初世梅若實の時代」。それでいながら後年相次いで不幸に襲われた坂戸金剛21代宗家・金剛唯一の同時期の活躍と功績について未だ精確に研究・報告されていないのが実情。今後の調査が待たれます。
なお、金剛流現行版〈墨染櫻〉の再演時、明治14年(1881年)3月17日には当時流行の華族能として「上杉君」がシテを舞っています(「諸藝新聞」同年4月1日掲載記事→国立能楽堂『明治の能楽(一)』に「上杉君の墨染櫻はお見事お見事、別てお装束の赤地の唐織には眼を驚ろかしました」と評語あり)。「上杉君」が上杉伯爵家前主・斉憲か当主・茂憲かは不明ですが、米澤藩上杉家は江戸時代以来金剛流最大の後援元。同家旧蔵(法政大学能楽研究所現蔵)の江戸中期書写番外謡本〈墨染櫻〉は元禄版とほぽ同一の構成ですので、上杉家と近かった金剛唯一はこの原作版の存在も知った上で意図的に「金剛流明治新版」を改作・試演したはずです。

2009年に私が手掛けた完曲〈墨染櫻〉復興は喜多流・塩津哲生さんの強い意慾と依頼に応じたもの。実は私も以前から胸中に抱いていたプランでした。その時併演された舞囃子〈杜若 素囃子〉に客演していたのが大槻文藏さん。大槻さんとは他にもさまざまな復曲・再演出作品をご一緒していますが、その時の〈墨染櫻〉に強い印象を抱かれ、ご自身で「是非、再演を」と当時から洩らされていました。6年経ってようやくその機会が巡って来ることになります。

金剛流改作版が削除した完曲〈墨染櫻〉の大きなポイントは前ジテの出家場面。ここには盥の小道具もしくは作リ物が必要です。前回は銹朱色の緞子で包んだ角盥(つのだらい)の小道具を作成、使用しました。次回はどのようにするか思案中です。
また元禄版は[亂拍子]を踏む形式ですので初演時にはそうしましたが、別途、[クセ]アトの[ロンギ~次第]を省いて中世当時の[序ノ舞]型に替えることもできます。さらに、出家直前の前ジテの言葉に「嬉しや今こそ重ねたる百年のつくも髮」とあるのを活かし、シテ・墨染櫻の精を若い女人(2009年版も金剛流改作版もそうです)ではなく老女として演出することも可能です。まあ、実際には「老女物」をそう軽々しく新作するわけにもゆかないとしても、掛け合わせれば4通りの設定が想定できるわけです。

完曲〈墨染櫻〉は詞章の品格高く、香気豊かな佳作です。これから1年以上の時間を掛けて大槻さんと相談の上、三役・地謡の方々と共に丁寧に工夫を凝らし、皆さんに愛して頂ける美しい能に仕立てたいと、私自身も今から楽しみに準備を進めたいと思っています。

※金剛流現行版ではない完曲〈墨染櫻〉の活字本文を知るには、現在ちょっとした稀覯本となり古書店でも入手難ですが、大正元年(1912年)9月刊行・國書刊行會『宴曲十七帖・謡曲末百番/全』所収、元禄11年11月板行の江戸・田方屋伊右衛門版番外謡本の翻刻を見る以外ありません。また、2009年復興の拙作補綴版の報告と上演本文は2010年3月発行『明星大学研究紀要/日本文化学部・言語文化学科』に「能〈墨染櫻〉完曲の復興上演について」と題し掲載しておりますので、ご興味の方は図書館等でそちらをご参考頂いても結構かと思います。

※金剛流現行版(明治書院『謡曲大観』第三巻や日本名著全集『謠曲三百五十番集』は金剛唯一による明治改作版の翻刻)ではない、能〈墨染櫻〉完曲ただ一つの翻刻本文『宴曲十七帖・謠曲末百番』(國書刊行會・大正元年9月刊行)は国立国会図書館「近代デシタルライブラリー」のこの項で閲覧できます。コマ番号188、189(原本の340~342ページ)。ちなみに、ここでの曲名「墨櫻染」はむろん誤植です。なお、明治書院『謡曲大観』所収〈墨染櫻〉文末の〔考異〕を辿っても完曲本文の復元は可能です。(2014年1月2日追記)

2013年12月30日 | 記事URL

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