2014/1/11 「翁付」の能のこと | 好雪録

2014/1/11 「翁付」の能のこと

日中は東中野の梅若初会能。そのあとは日比谷のシアタークリエで「クリエ・ミュージカル・コレクション」を楽しむ。

今宵の出演は石井一孝、上原理生、岡田浩暉、涼風真世、瀬奈じゅん、知念里奈、中川晃教、山口祐一郎と豪華で、彼ら彼女らが東宝ミュージカルのさまざまな名ナンバーを歌うのだから人気が沸かないはずはなく、チケットはとうに完売。
中では、前半最後に置かれた〈ダンス・オブ・ヴァンパイア〉第1幕フィナーレが圧巻。山口の当たり役・クロロック伯爵に配するに、石井のアブロンシウス、中川のアルフレッド、上原のヘルベルトと組んだ特別配役が揃いも揃って大傑作。「あー、こりゃ本公演で見てみたい」と思わされた。
他に第2部冒頭では、文字どおりの出世作でありながら前回から既に手掛けなくなっている〈モーツァルト!〉から「僕こそ音楽」が中川によって歌われた。私はこの"Ich bin Musik"という歌が、ことに中川の歌うこの歌が大好きなものだから、彼が20歳の初舞台にモーツァルトを演じ、文化庁芸術祭賞新人賞、読売演劇大賞優秀男優賞、杉村春子賞と総ナメにした10年前の生一本で烈しい歌唱を改めて耳にして、今に変わらぬ彼の歌いぶりに感無量。何だか泣けてならなかった。

さて、本日の梅若玄祥〈邯鄲〉は梅若長左衛門〈翁〉に続く、いわゆる「翁付(おきなつき)」の演式だった。真ノ音取と置鼓の奏演の内に間狂言が出、常座で4足出て3足引く口伝の足づかいをして口開となるだけで、能本体は別段に変わりはない。玄祥の体調がよろしくないかして、引立大宮の一畳台上で安坐せず床几に掛かり(亡き清田弘氏が『能の表現』〈鶴龜〉の項で指摘するとおり本当は誤法だと私も思う)、楽アト早々に台上に上がって型をしそのまま横臥するなど特殊な処理を加えたが、楽は盤渉にしなかった。先日ちょっと玄祥さんと話した折「やはり黄鐘のままで」と聞いていたとおりだった。
あれほど自由な創作に熱心な玄祥さんでも、〈翁〉に手を加えることは「縁起が悪い」と憚られるらしく、極力「定めのとおり」を守るのだと言う。
というのも、音楽的に盤渉楽は面白いが、古来、盤渉は「祝言の調子」ではない。
従ってこれを敷衍すれば、もし〈當麻〉を切能でなく(たとえ5番立ではない2番、3番立ての)初能に置く場合も早舞は黄鐘で吹くのが古法。もっとも、これは最近ほとんど頓着されなくなった。

正式な「翁付」は真之次第と真之一声を具えた本脇能でなされるのが本義だが、やりようによっては何でもそうできる(表章『観世流史参究』を見ると、観世黒雪の慶長4年10月聚楽勧進能3日目〈小塩〉(p.228)、元和7年2月江戸勧進能の2日目〈皇帝〉、3日目〈山姥〉(p.236)が「翁付」となっている)。とはいえ梅若万三郎が2007年1月の梅若研能会初会で出した〈翁 法會之式〉に続く翁付〈楊貴妃〉となると、恋慕愁嘆の内容で祝言性皆無な曲を略脇能に扱うとは「ご趣向」が過ぎてちょっと無理だろう(太鼓座に太鼓方を欠く「翁付」も前代未聞だった)
狂言方の〈邯鄲〉小書に「置鼓」があるのも当然この「翁付」用である。
観世寿夫は1960年1月の銕仙会初会にこの形で勤め、2000年10月に浅見真州が「10周年記念独演五番能」の冒頭〈翁 父尉延命冠者之式〉に続けて〈邯鄲 夢中酔舞〉を舞った。今回、梅若宗家では初めての翁付〈邯鄲〉ということである。

〈邯鄲〉のみならず、〈咸陽宮〉でも〈皇帝〉でも、狂言口開で始まる能を略脇能に扱い「翁付」に据えるならば、間狂言を置鼓で出せば済むから問題はない。

ただし、「こうした時は必ず置鼓で出なくてはならない」と言い切って良いものか、どうか。

〈翁〉のあと囃子方は着座のまま置鼓は打たず、普通に間狂言が出てこうした能を始めることだって可能である。
というのも、たとえば〈鶴龜〉〈西王母〉〈東方朔〉は脇能だから普通に「翁付」になるわけだが、その際「間狂言が置鼓で出る」のはごく稀で、「翁付」としても常のとおりに始まるのが現今の常態ではなかろうか。
ちょっと習事の知識があれば「こうした略式はダメで、本格の置鼓で出ないとおかしい」と評するのは簡単だけれども、物事にはいろいろな前例や故実がある。素人の生半可な知識で「こうでなくてはいけない」と断ずると、かえっておかしくなることがある。

たとえば、「翁付」脇能の冒頭に音取置鼓でワキ方が出て所作をし脇能を始める特殊な「礼ワキ」という所作がある。東京で普通に見られる下掛宝生流では必ずと言って良いほどこの演式を取る。
だが、現在の福王流では「礼ワキは格別の大能の時に限定される厳格な演式で常はこれをしない」とされるようだ。実際、私も福王流のワキによる「礼ワキ」は見たことがない。
つまり、「翁付脇能のワキは置鼓で出る」とする「常識」(穂高光晴の奇著『近代能楽諸家列傳』にこのことを根拠にした非難の言葉がある)も、伝承や立場如何によっては「常識」ではなくなるので、現実それが成り立ち認められている事実が、理屈や原則で推せる「正論」によってすべて裁断できるとは限らない。古典藝能について語る時に注意しなくてはならないことであろう。

先日の観世会初会〈竹生島 女体〉は「翁付」だった。観世流には小書「翁付之式」がある。(たとえ〈白髭〉を廃曲としている宝生流でも)〈竹生島〉を「翁付」にする時には前ジテの出に〈白鬚〉一セイ以下を借用して真之一声の囃子で出る、というのが、ちょっと専門的な鑑賞ガイドを読めば誰でも仕入れられる「常識」ではある。
だが、先日はそうせず常の〈竹生島〉のまま演じた。

これを、何の斟酌も加えず単に「間違い」と断言するか。
「シテが家元だけに故実を知らぬはずはなく実は何か先例なりがあるものか」と考えるか。
または、「伝承の有無とは別に、現今の観客状況を鑑みた新工夫」として評価するか。

無責任な放談ならばいざ知らず、いやしくも批評を事とする者として、こうしたことを丁寧に考え、学び、周到に判断してゆきたいと、私などは考える。

2014年1月11日 | 記事URL

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