2014/1/15 外光の入る能楽堂 | 好雪録

2014/1/15 外光の入る能楽堂

雪が降るかとの予報も外れ、寒中らしくただ冷えに冷えた一日。
大学も後期教場試験の時候となり、私も早速1科目分実施した。

さて、特に今日の日録ではないが、先日、東中野の梅若能楽学院の舞台で改めて思った。
外光の入る能舞台で見る能がいかに美しいか、ということ。

ここは中正面席上方に摺りガラスの横窓があり前面は木のブラインドが透けているから、以前の熱田神社能楽殿のように外光がモロに入るわけではない。窓の面積もそう広くはないけれど、方角が良いのだろうか、秋から冬の晴天であれば昼前から午後に掛けて実によく本舞台が照り映える。
当日は午後1時開演で〈翁〉〈邯鄲〉を出した。麗らかな光に満ちた舞台で見る〈翁〉の晴れやかさ。〈邯鄲〉ともなれば陽がさらに回り、脇座に出した一畳台の台掛の金襴が強い光を放つ。その輝きが全然どぎつくなく、まことに美しい。やがて能が進むにつれ脇正面方向に太陽が移ると舞台上も次第に明るさを減ずる。
その自然な推移が、〈邯鄲〉という能のありようとどれほどピッタリそぐっていたか。

何より、どちらの演目も、面や装束はもとより、能役者の肌の色が実に美しく見える。
見所にも一応の照明があるのだが、この外光のお蔭でほとんど無照明同様。したがって、手許も舞台上と同様に明るいので、両者の隔絶感がほとんどない。
いくらよくできた人工照明でも、決して太刀打ちできない効果ではなかろうか。

客席に外光の入る能楽堂は、現在きわめて少ない。
東京では杉並能楽堂と銕仙会能楽研修所だが、後者は騒音排除の必要上いつも遮光のままである。ほかに矢来能楽堂は上部の限られた細窓から光が入ったかと思う。
国立、観世、宝生、喜多、みな密室の舞台だ。銀座に移転する観世の新舞台はセルリアンタワー能楽堂のような地下式になるからなおさらである(欧米や戦前日本のビルによく見る半地下の天窓が穿てれば別だが)

今後、大規模な能楽堂を新造する時に、鑑賞面で一考したいことがいくつかある。

1)見所の地裏、正面、(中正面と)脇正面の上部に、木製雨戸(+明かり障子)を仕込んだ
 ガラス窓を取り場内に外光を入れる。
2)本舞台内の照明を落とし、本来は暗かるべき鏡板を照らし過ぎないよう工夫する。
3)地裏に観客席を取る。
4)低い位置に2階席を巡らす。

1)の効用は前述のとおり。これだけで能の見え方は一変しよう。雨戸も障子も自動開閉が可能だろうから、必要に応じていかようにも対応可能。
2)は舞台の思想にも関わるだろう。たとえば「後見座にクツログ」とは、舞台の端に比べて暗い後方に退くことで「消える」と見せるのが本義。現在だと下手をすると、後見座や鏡板周辺が舞台上で最も明るい。
3)今やまったくと言って良いほど死んだ空間だが、橋掛リの出が見通せる地裏はもともと正面に次ぐ上席である。地謡が邪魔ゆえ少し高めの桟敷席に作ると良い。
4)は現在の喜多能楽堂2階席よりもうんと低く作る。そうすれば昔の勧進能の2階桟敷席=最上席と同等の視点が確保できよう。安価な席として開放してもよく、1階に余裕があれば御簾を下ろして塞げばよい。

まあ、実際には将来、能の公演数は減ってゆくのは確実で、まったく新規に能楽堂ができることは望み薄であるし、流儀や会派で舞台を維持してゆくことすら難しくなろう。下手をすると50年後は、流儀の稽古能を内輪で研修する舞台は別として、公開公演用の能舞台は国立能楽堂で1つ、能楽協会あたりが取り纏めて各流合同所有で1つ、東京でも計2つあれば間に合うようになってしまわないとも限らない。

そんな「現実」は別としても、外光の入る屋内舞台で生動した能が見られることを、単なる夢想や高望みと断念するのではなく、何とか実現させたいものだと私は思う。

※「能楽堂」の語は、1881年(明治14年)に芝公園・紅葉館に開設され1902年(明治35年)に現在地・靖国神社境内に移築された「能楽堂」が最古だが、室内に舞台全体をすべて入れ込む建築形態としての能楽堂は1915年(大正4年)12月7、8日・大正天皇即位祝賀能のため建設され翌1916年(大正5年)年4月29日に正式演能が催されただけで取り壊された宮城・豊明殿前の仮設能楽堂(能舞台は華族会館に下賜されて後に戦時焼失)が最初。写真を見ると見所正面後方の玉座の前には座席が置かれていないほか、地裏側に広く見所が取られていると分かる。全体の解放感(極彩色で花の丸が描かれた格天井の一部にガラス張り天窓が見える)、これが「仮設」とはちょっと信じられない優美な豪華さ(建物は明治宮殿と同様式で総檜づくり、座席は深紅のビロード包み、シャンデリアは舶来)ともども、のちに受け継がれなかった様式だが、私はきわめて優れた意匠と形態だと思う。(2014年1月16日追記)

2014年1月15日 | 記事URL

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