2014/1/4 野村萬斎と茂山宗彦 | 好雪録

2014/1/4 野村萬斎と茂山宗彦

1月3日は新幹線で西下したのだが、報道でご案内のとおり、有楽町沿線火災で新幹線が不通となりモロに影響を蒙った。

ただ、午前中に京都の茶家の正月釜に参じ年賀かたがた一服頂戴して大阪に回るつもりで早く出たのが不幸中の幸いで、品川駅で待つこと3時間。臨時列車の初発に運よく乗り込め(立錐の余地なき車内で着座できたのも幸い)、京都立ち寄りは断念しそのまま大阪に赴いたら余裕をもって能の始まりには間に合った。寒いプラットホームで立ち通し、ちょっと鼻風邪が兆していたもののホテルで一晩寝て収まったのも幸いである。

私は近年、1月の3日と4日は大槻能楽堂の新春能を見るのが恒例。
毎年両日とも〈翁〉が出、昨日は観世銕之丞、本日は野村四郎。大阪在住ながら銕仙会所属の大槻文藏ならではの巧みな人選である。
感心したのは本日の〈法師ヶ母〉。シテ・野村万作の体調も良好、声もよく出た上、型の鮮やかさ、表情の闊達、全体ことごとく「至藝」と称するに足る美事な出来で唸った。

また、本日の三番叟は野村萬斎。
これが良いのである。
少なくとも、彼で見たこれまで三番叟の中で最も良いものだった。

一面では確かに、表情が暗い(これは顔つきだけではない)、全体に「好戦的」、などの違和感もある。私が過去に接し得たうち農耕民族的な根源性では亡き山本則直が出色の三番三で、その揺るぎなくドッシリとした低重心に比べると萬斎はどうしても腰高の感は否めない(野村萬や万作の三番叟でその気づかいはない)。
だが、足づかい一足一足は丁寧。「揉ノ段」烏飛び直前に笛座前でキリリと小回りする動きの鮮やかさ、「鈴ノ段」最後に正先框際まで一気に進む思い切りの良さ、などに見る身体能力の高さは実に立派なものだ。
昨日の三番三は茂山千三郎。私は彼の藝とキャクラターが好きで、なりふり構わず一杯に勤める三番三は好感が持てる半面、ウンと上体を傾け腰を落としているように見えても本当の意味で腰が入りきっていないのは、踏み止まる時にしばしばタタラを踏み不要な足拍子が耳につくことで分かる。
これは能役者でも狂言役者でも同じこと。激しい動きの中にドタドタ足音を立てるのは厳禁である。というよりも、キチンと腰が入り腰固めができていれば、どれほど激しく急調に動こうが踏み止まる一足は必ず無音で静かなはずである。千三郎は踏み止まる時に足を浮かせて小拍子の音をさせることがいささか癖になった気味がある。
この悪癖は直さないといけない。

萬斎の三番叟でこうしたタタラを踏む足音はまず聞かれない。彼なりに自分の動きを律し得ている証拠である。

ちなみに、昨日の能〈國栖〉で間狂言オモアイ・追手を演じた茂山宗彦が「どうしちゃったの??」というほど困却させられる出来だった。
まず腰が伸びきり、カマエに身に応えるところがなく、ただ「棒立ち」に近い。シテ・山本順之がこうした点に堅固な役者だから、対峙する宗彦の欠点が余計に目立つ。
つまり宗彦の立ち姿は見所のわれわれと等しくほとんど「素」のままに近く、まったくと言ってよいほど劇的緊張を纏えていない(アドアイの島田洋海は「教わった通り」に演じているためか宗彦ほどのことはない)。
さらに、「息を抜く」ことを覚えてしまっているためだろうか。相手役とのコトバの応酬の中に突如、虚を突く「素」の表情を交え過ぎる。
これは一面、客を意識した落語家のテクニックに通ずるところだ。
だが、内的緊張を持続させないと成り立たない能・狂言と、緊張したままではどうにもならない落語とでは根本が違う。この「素」の表情に砕く「非風」は亡き千作にも千之丞にも当代の千五郎にも七五三にも見られるところだが、彼らには身に着いた確固たる基本技があるのでそれが活きもする。また、少なくとも彼らの舞台姿は宗彦ほど「腰が伸びきり棒立ち」ということはない。
そうなると、宗彦の演技では観客を意識した表面的な「顔藝」ばかり目立つことになる。
私も認める愛すべきキャラクターを持っている宗彦にとって、これらはきわめて残念なことではなかろうか。

萬斎も宗彦も、狂言役者としては東西の若手の人気者で名が売れているトップだろう。
2人とも対観客意識は相応以上に持っているはずだ。
が、古典藝能の根本義は「観客にどう受けるか」では決してあるまい。
やはり、月並みな言い方だが、一にも二にも「身体能力の向上」に尽きると思う。

2014年1月 4日 | 記事URL

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