2014/1/6 新春浅草歌舞伎 | 好雪録

2014/1/6 新春浅草歌舞伎

今日は浅草公会堂で新年恒例の若手歌舞伎昼夜を観劇。
このところ毎年のように全日程前売完売の景気がすばらしい。

上演時間が短いのが手軽な芝居見物に受けるのだろう。
夜の部は午後6時半に終わるから、それからゆっくり夕食を摂る余裕もある。
地元・浅草の経済効果にもよろしく、すっかり定着した興行らしい活気があるのが嬉しい。

昼の部は〈布引二段目〉〈上州土産百両首〉。
夜の部は〈博奕十王〉〈新口村〉〈屋敷娘/石橋〉。
昼はそこそこ重みがあるが、夜の出し物はみな1時間以内の軽量級とて、さすがにちょっと物足りなくはある。

それにしても、義賢と忠兵衛を勤める愛之助、〈百両首〉正太郎と博奕打を勤める猿之助、どちらも張り切った熱演であり好演であって客席の反応も上々。冒頭「年始ご挨拶」(本日昼は歌昇、夜は壱太郎)で言うとおり、「浅草歌舞伎は若手の登竜門」とは真実。むしろ、「登竜門」より恰好の修業の場だろう。その意味で、今の勘九郎が勘太郎時代の2010年に渾身の演技を見せた〈安達三〉のような密度の濃い出し物を昼夜1本ずつは据え、薬にしてもらいたいと切に思う。

夜の部でことに感心したのは〈新口村〉だった。
愛之助の忠兵衛は素敵なニンであり、過剰に柔らかくなく立役腹があるのが何よりである。
壱太郎の梅川も「女ぶり」が上がり情味にも事欠かず、将来の適役たることを思わせた。ただ、絃にノル面白さはほとんどないので、肝腎のクドキがただ何となくしこなしているようにしか見えない。その点は研究の必要がある。

というのも、また昔話で恐縮。
私にとって〈新口村〉といえば、それはもう、歌右衛門の梅川に13代仁左衛門の孫右衛門にとどめをさすので、この共演は1984年10月の名古屋・御園座、1985年1月の歌舞伎座、それこそ何回足を運んで見たか知れないほどよく憶えている(どちらも忠兵衛は扇雀時代の坂田藤十郎)
歌右衛門がクドキで見せた陰翳の濃さ。
「借り駕籠に日を送り、奈良の旅籠や三輪の茶屋」。
舞台に膝を落とし目をつぶったまま、片手は駕籠内の紐綱を握る心で、ゆうらり、ゆらりと身を揺らす。

その、音楽を聴いているような快味。
銀世界の静寂の中に溢れかえる叙情性と寂寥。

それはただ「思い込みでそう見た」のではない。
歌右衛門の身体が竹本を、ことには絃を、克明に聴き取り内在化させ型としてそれを発現させた、その「身体の魅惑」であったのだ。

壱太郎だけではなく現在の多くの役者は、クドキのように心情を型で現わす部分になると、「ここではあっちを向き、今度はこれを見」というようにその場その場の所作がバラバラに分節化して繋がらない。
歌右衛門のクドキは、どんな芝居でもそうだが、一つの終止すなわち次の始発となって、動いている時も静止している時もハラと息の力で型や所作それぞれが緊密に繋がり単体として分節化せず、全体の中で幾つかの大きな、また小さな段落が生ずる。
音楽で言えば、フレージングが絶妙なのだ。
彼の芝居を見ていると、時々によって細部に差は生じても、天性の感覚と知性でとらえられ形づくられたその構築は「これしかない」と思わせられるようなツボに常に嵌まっていた。
歌右衛門とはそうした役者だった。基本的に彼の藝は徹底した技術によって醸し出されたものだった。
30年前の懐古趣味と思わないで頂きたい。
壱太郎にも是非、こうした役者の、こうした梅川の境涯があることを知ってもらいたい。

難役中の難役、孫右衛門は嵐橘三郎が好演。
脇役の巧者の中でも手だれの橘三郎は昨年11月・歌舞伎座、幹部昇進披露の斧九太夫で吉右衛門の由良助を相手に実に立派な芝居を見せ、今後が大いに期待された記憶も新しい。
もっとも、孫右衛門は九太夫とは比較にならない大役。正直、まだ余裕が欲しい部分も多々あったけれども、「自分のものにしよう」という意慾は舞台から十二分に伝わり、仕事そのものは筋が通っている。
今後もこうした若手の興行が、橘三郎のように上々の腕を持ちながら大歌舞伎では蔭に隠れがちの役者を登用しわれわれに新たな発見をさせてくれる機会として機能したら、どんなにかすばらしかろう。

懐古ついでに言うならば、孫右衛門こそ13代仁左衛門屈指の傑作であった。
私は13代大松嶋が好きで好きで、本当に色々なことを教えられた数々の舞台の中でも、〈廓文章〉伊左衛門、〈伝授場/道明寺〉菅丞相、〈七段目〉由良助、〈新口村〉孫右衛門、この4役ばかりは真実「絶後のもの」と思っている。
中でも孫右衛門はニンにピタリと合って水も漏らさぬ出来。セリフといい型といい義太夫を充分に消化した腕、品のある風姿と適度の卑近さ。芝居の活殺、詩味、情味。
これこそ昭和後期の歌舞伎の中で冠絶する傑作の一つだろう。

そして本日の橘三郎の孫右衛門。
その大松嶋の絶品を実によく学んでいるのである。
見終わってから読んだのだが、プログラムに橘三郎の言葉が掲載されていて、そこには、「これはやっぱり先の松嶋屋さんの孫右衛門が目に焼き付いています」とある。
なるほど、本当によく写している。
30年も経とうが(大松嶋は歌右衛門との共演以外にもこの時期繰り返して何度も孫右衛門を演じた)私が忘れようとしても忘れられないセリフの抑揚から色付けから、時として声音まで、大松嶋のそれと殆ど同じなのだ。

ただ、大松嶋はもっとメリハリがあり、セリフの間が詰まっていた。
最後の雪中愁嘆でも、新口村の傍示杭にすがっての大芝居ともなれば竹本を充分に活かしきって車輪も車輪、80歳を超えた老優が身を粉にした芝居の面白さに毎回ワクワクさせられながらも落涙を禁じ得なかったものだ。
これも歌右衛門の梅川と同じく、13代仁左衛門の技術の産物。
心深く熱い芝居で鳴らしたこの2人とも、まことに「巧い役者」であった。

そんなことを思いつつ、でも、今日の〈新口村〉は気持ちの良い嬉しい出来ばえだった。
私は懐かしさも懐かしい歌右衛門の梅川や大松嶋の孫右衛門を細部に到るまであれこれ思い起こしつつ、何だかたまらない心持ちになった。

愛之助、壱太郎、橘三郎、彼らも今後はさらに佳い忠兵衛、梅川、孫右衛門を見せてくれることだろう。
古典藝能、ことに伝承演目再生の要諦は「過去に学ぶ」ことに尽きる。
偉大な先人の業績を忘れず、ただ過去のものと受け流すのではなく、「己がもの」となしてさらなる向上を志してもらいたいと思った次第である。

2014年1月 6日 | 記事URL

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