2014/1/7 山口小夜子と"Hymne à l'amour" | 好雪録

2014/1/7 山口小夜子と"Hymne à l'amour"

今日は国立能楽堂で能〈當麻〉の後、演劇界の諸事に精通した知人たちと談語に時を費やして新年の情報交換。ここには記せない話題ばかりで恐れ入る。
それにつけても、雑誌やネット上に流出している「真相」がいかに当を得ていないか、あるいは別の「真実」を隠蔽するための操作結果であるか、改めて考えさせられた。結局、誰かが保身を擲って口を開き筆にしない限り、すべては闇の中に消え去るのである。

夜は打ち合わせの後、行きつけのバーへ。独酌とはいえ店主はもとより常連客にも知った人は何人もいるから会話には事欠かない。

今宵は、7年前に亡くなった山口小夜子を今も崇敬する大ファンと、生前彼女と昵懇だったアーティストとが居合わせて、彼らの熱い会話を聞くうちになかなか知られないエピソードが知られたのは実に楽しかった。

彼女は1970年代に化粧品広告でよく知られたモデル。パリ・コレクションでは東洋人女性の美を公認させ、バブル期前後には勅使河原三郎たちとダンス・パフォーマンスの競演を繰り返し、私たちの世代にはいとも懐かしい「ディーヴァ」だ。
ただ、ファッションモデルや舞踏人の世界は閉ざされており、役者や音楽家のように多くの人の耳目に触れる立場でもなかったから、テレビで安っぽく顔を売らなかった彼女は「知る人ぞ知る」存在だったかもしれない。
私は山口の「追っ駆け」だったわけではないけれども、1980年代に読んだ藝術雑誌や文学雑誌の記事、あれこれのダンス公演、山口と一緒に仕事をしていた人の直話などで、彼女のことは30年前からの記憶にハッキリ刻印されている。

今宵、改めて聞けば、「山口の瞳は人を吸い込むような深い深い瞳だった」そうである。
「ああ、これは歌右衛門と同じだな」と私は思った。

他者に強烈な印象を与える力を持つ限られた偉大な人間には、この世を去って何年経とうが、懐古趣味ではない、キラキラと輝く創造的な影響力を後世の人に残すのだ。
その意味で、なるべく若い頃に生涯の宝となるような「出逢い」を得たか得ないかで、人の一生は決まってしまうであろう。

直接、人に接することには摩擦やリスクが必ず伴う。
だが、その痛みや忍耐なくして自らは磨かれない。
私はこうやってネット上にとりとめもない舞台批評を綴っているけれども、こうした情報は実際に舞台を見、藝術に接する人々にとって、「冷暖自知」すなわち「自ら納得し会得する」ための些細な補助線に過ぎまい。

このバーの店主は多才で巧みにピアノも弾きもする。ちょうど来合わせたある高名な歌手が興に入り、"Hymne à l'amour"(愛の賛歌)を歌ってくた。
岩谷時子の訳詞では隠蔽された「悖徳をも辞さない愛」の言挙げたる歌を聴きながら飲む酒はちょっと違う味がしたものである。

※1月6日(月)の朝日新聞朝刊に『伊勢物語』に関する私のコメントが掲載されているようです。昨年、取材を受けてしゃべった内容は大半失念。掲載日の通知もなかった上、わたくしは新聞本紙をほとんど読まないので記事内容は未確認。すでに読まれた方にどのように伝わったか些か心配ではあります。

2014年1月 7日 | 記事URL

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