昨日に続き本日も爽やかな好天。
午後、国立能楽堂で大蔵流・山本会別会の狂言尽くしを見た。
山本家の定例狂言会で別会の開催は通常隔年。
昨年7月に先代東次郎50年忌追善として行われたから今年は休会となるべきところ、
当代東次郎氏が満77歳を迎えて大曲〈比丘貞〉の再演を世に問う動機から連年の催しとなった由。
詳細は『能楽タイムズ』月評として発表するが、強いて欠点を挙げるならば「77歳とはいえ東次郎氏がまだまだ瑞々しくお若いこと」ぐらいで、26年前の初演と比較してはもちろん、東次郎氏の特質の良く出た、優れた〈比丘貞〉だった。
特に良かったのは、子方に素袍の上着(下は稚児袴として穿いて出ている)を着せ小刀を挿させ、小結烏帽子を頂かせる物着の演出を導入したことである。
この新工夫は女ジテが烏帽子親となる奇想天外な作品の趣意を闡明化するものであり、見た目にも華やかで舞台が引き立つことおびただしい。
「替装束」か「物着」あるいは「烏帽子之祝儀」とでも名付けて小書とし、後世に永く伝える価値のあるものだ。
本日のパンフレットには東次郎氏と私との〈比丘貞〉をめぐる対談が掲載され、自分で言うのもなんだが、これがよくまとまっていて内容のある記事とて、心ある方々には是非お読み頂きたい。
とはいえ、公演パンフレットは当日足を運ばれた方の手にのみ入るものだから、山本家の快諾が得られ次第、このHPに転載し後日お目にかけようと思う。
少なくとも明治以後、〈比丘貞〉についてこれほど突っ込んだ対話は記事化されていないのではなかろうか。
山本則重の閻魔王、則秀の又五郎による〈八尾〉でも実に貴重なことがあった。
通常はウソフキで代用されている本曲のアド専用の狂言面「又五郎」が京都で発見されて先月山本家に入り、今日はじめて使用されたのである。
大蔵虎明『昔語抄』に言及はあるものの伝世品がなく、東次郎氏も実物はご存じなかったこの面は文字どおりの稀作であり、「幻の面」だった。
本日、ありありと見ればまぎれもない秀作。全体に黒ずんで確かに「痩男の崩し」と見え、眼窩の深い彫りには「蛙の崩し」の面影も通う。
作者は判然としないが面裏には「元休」の朱書きがある。あるいは江戸初期の越前出目家4代「古元休」満永との極めであろうか。作柄もちょうどその頃のもののように思われた。
ウソフキは飄逸の面影だが、この「又五郎」は厳しく真面目な表情である。その点だけでも〈八尾〉の印象は一変する。
面一枚の出現で作品の解釈が異なるというのは、実に恐ろしいことである。
別会の終了後には関係者・後援者が随意に集う打ち上げが催され、開式に当たり私もちょっとごあいさつしたのだが、東次郎氏はご親切にも本日使用された面を取り出されて観覧に供された。
「又五郎」をはじめ、東次郎家の家宝ともいうべき赤鶴の神品「小豆武悪」。
自身も面を打った5世野村万藏も讃嘆したという「ふくれ」。
「小豆武悪」はもちろんのこと、私は品位と人間性あふれる東次郎家のこの「ふくれ」が大好きなのである。
虫干しの折にお邪魔でもしない限り近くでは見られない逸品の3面を親しく眺め、まことに眼福。目の正月をした。
2014年5月11日 | 記事URL