2015/1/14 片山幽雪追悼 | 好雪録

2015/1/14 片山幽雪追悼

昨夜、幽雪さんが亡くなった。
言葉に尽くせぬほど、寂しい。

その藝、業績について、改めて『能楽タイムズ』に追悼文を執筆することになっている。
今はとりあえず、「長い間さまざまな舞台で楽しませて頂き、勉強させて頂き、ほんとうに、ありがとうございます」とのみ、申し上げたい。

幽雪さんの藝の変化を感じたのは、平成17年3月26日。京都での〈関寺小町〉再演だった。
その3年前の初演とこの時と、仔細に見比べて、「こうも変わるものか」と感じ入った。
二度とも、細部の処理は除いて、型の外形はまず同じである。子方以外の共演者もほぼ同一。
それでいて、出来ばえはほとんど「別物」であった。

初演も再演もたまたま『能楽タイムズ』の月評担当に当たっており、両〈関寺〉には出来得る限りの細評を試みた。
その再演の批評を、幽雪さんはとても喜んで下さったらしい。
掲載後、未知の人から電話があり、「(当時)九郎右衛門先生に先日の〈関寺〉のことをお尋ねしたら、『タイムズの能評を読んで下さい。言いたいことは全部書いてあります』と言われました」と伝えられた。
批評家冥利に尽きると思った。
幽雪さんと親しくお付き合いするようになったのは、その時がきっかけである。

三度まで勤めただけあって、故人は当然、〈関寺〉に相当の「思い」があったようだ。
平成23年6月に観世清和(現・清河寿)さんが勤めた時は、あとになって知らされたことだが、特に乞われて幽雪さんが諮問に与ったという。
その時も私が『タイムズ』に批評文を寄稿した。後日、銀座の資生堂で食事をしていると、幽雪さんが入ってこられた。
会釈してそのまま食べ続けていたら、いつの間にやら、着流しの幽雪さんがワインの瓶を持ってそばに立たれている。
「先日は、お家元に申し上げたこと、そっくりそのまま見て頂き、書いて頂いて、ありがとうございます」とニコニコされ、とうとう1本ごちそうになってしまった。

色々なことが脳裏を去来して、何とも言いようがない。
今はご冥福を心からお祈りするばかりである。

2015年1月14日 | 記事URL

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