2015/1/2 歌舞伎座初芝居 | 好雪録

2015/1/2 歌舞伎座初芝居

東京は寒い新春。
例年1月2日は歌舞伎座の初日。もう30年以上、決まって初芝居を見続けている。

南座の顔見世もしかり、以前は「初日特定狂言」と称し昼夜の演目から選り抜いて長めの一部制を組む初日興行があった。歌右衛門の〈隅田川〉、13代仁左衛門の〈寺子屋〉、17代勘三郎の〈盛綱陣屋〉等が出た昭和60年の初芝居が歌舞伎座での最後ではなかったか。歌右衛門が班女の前と篝火、仁左衛門が松王と時政、勘三郎が舟長と盛綱を一日の内に勤めたのだから、何とも贅沢な初日ではあった。

正月ばかりはゆっくりしたいので、毎年、夜の部を見るのが何となしの例になっている。
が、今年は狂言立てに初芝居らしさが欠けているようでならなかったので、昼の部にした。
若手の〈金閣寺〉。玉三郎の〈蜘蛛の拍子舞〉。幸四郎・魁春の〈一本刀土俵入〉。

詳細はきちんと批評しなくてはなるまいが、「何とも退屈」な昼の部である。

〈金閣寺〉は正直、勉強芝居であり、〈蜘蛛の拍子舞〉は玉三郎に途中「これは良い」と思う部分があるものの総体は舞踊として実体に欠け、〈一本刀〉は幸四郎の茂兵衛との応接で魁春のお蔦が「駒形」の名を訊きそびれる失態があるなど諸役のセリフが実に怪しい。
煎じ詰めれば、役者の身体性の欠如または希薄さと総合的舞台演出の弛緩、ということになるだろう。

これらどれもみな全くの新作ではない。頻度の差こそあれ「お馴染み」の出し物である。
帝国劇場で出される東宝ミュージカルのあれこれや、筋の通った能の会の基本的演目で、これほどの「何とも退屈」感が兆すことはない。

歌舞伎役者にも、歌舞伎を見るわれわれにも、重大な転機が訪れているような気がする。

2015年1月 2日 | 記事URL

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