2016/5/26 国立能楽堂企画公演・復曲能〈菅丞相〉間狂言 | 好雪録

2016/5/26 国立能楽堂企画公演・復曲能〈菅丞相〉間狂言

本日開催の国立能楽堂企画公演「復曲再演の会」における拙作演出による復曲能〈菅丞相〉。おそらく室町時代の初演以来はじめての関東上演と思いますが、無事に終了致しました。国立能楽堂の当初予定ではわたくしが関わる予定はなかったのですが、その後の過程で予想外の委嘱を受け、私案を試みました。2002年の復興初演版とは異なりすべてにわたって新規の演出であります。高覧の向きは、よろしくご批正のほどを願い上げます。

今回上演に際し、[早鼓](この囃子事も今回新規の選択)で登場する間狂言・比叡山の能力は《立チシャベリ》とし、『狂言集成』所収の和泉流三宅派台本を参勘しつつも総じて新規に執筆しました。本日のアイは茂山正邦さん。実際には茂山家ならではの口調に合わせて細部の言い回し等は自在に言い換えて頂きましたので、実際の上演形は幾分異なりましたが(本日の所要時間はちょうど10分)、諸賢のご参考までに拙案の間狂言の原台本を以下、お示し申します。

アイ「かやうに候ふ者は。延暦寺第十三代の座主。法性坊尊意僧正に仕へ申す能力にて候。さるにても僧正は。帝王御悩(ごのお)のご祈祷のため。五壇の御修法(みすほお)を行ひたまひて候ふが。なんぼう不思議なることにて候ふぞ。筑紫にて果てたまひたる菅丞相おん出でありたると申す。そもそもこの菅公は。菅原の宰相是善(これよし)と申すおん方のおん子にして。いとけなき時より法性坊を師と頼み申され候ふが。ご成長の後は(後は=のった)賢才人に超へ器量すぐれ。正二位右大臣の高きに進みたまふといへども。左大臣時平(しへい)公の讒言により。筑紫・太宰府へ遷されたまふ。しかれば遠流(おんる)に臨み。御氏寺道明寺。河内の国・土師(はじ)の里にてのご詠歌に。鳴けばこそ。別れも憂けれ鳥の音の。聞こえぬ里の暁もがな。まった都・紅梅殿(こおばいどの)。ご愛樹を惜しませたまふご詠歌に。東風(こち)吹かば。匂ひおこせよ梅の花。あるじなしとて春な忘れそ。この二歌(ふたうた)こそ。丞相名残の御歌とて。世に知らぬ人なきご詠歌にてありげに候へ。さりとても菅丞相。ご鬱憤のあまりにや。御黒髪の一夜にして。ことごとく白髪と(白髪と=はくはッと)なりおはしまし候ふが。御心(おんこころ)のうちに思ひたまふやう。われ無実の讒言により筑紫へ流されたる。その恨みを報ぜんがため。梵天(ぼんでん)へ祈誓し鳴る雷(いかずち)となつて。われに憂かりし輩(ともがら)を蹴殺すべしと。御配所(おんはいしょ)・太宰府にして。高山(こおざん)の絶頂に御登りあって。七日七夜(なぬかななよ)があひだ肝胆を御砕きあって御祈りなされたるところ。梵天・帝釈これをあはれとおぼしめされけるか。丞相つひに天満大自在天神と。荒ぶる神にならせたまひて候。さるほどにこのほど比叡山に来たりたまひ。僧正にご直談(じきだん)あそばされ候ふは。さだめて玉体安全(あんせん)ご祈祷あれとの勅使立つべし。師檀(しだん)の契り旧恩のよしみ。かまへて参内あつてたまはり候ふなと仰せありければ。僧正のおん答へに。御諚(ごじょお)もつともにては候へども。王地(おおじ)に住める身のならひ。二度(にど)までこそは辞退申せ。三度(さんど)の勅使はいなみがたしと仰せ候へば。菅丞相大きに怒りたまひ。御前(おんまえ)にありし柘榴をとつて噛みくだき。妻戸へくわつと吐きかけたまふ。柘榴たちまち火焔となつて燃えあがる。丞相も煙にまぎれ。雷電・黒雲を(を=の)起こし。内裏をさして飛び行きたまひ。さまざま恐ろしきおんこと御座候ふあひだ。急ぎ僧正におん出(い=に)であつて。ご祈祷あれとの勅使三度に及びて候。この上は僧正も是非に及ばず。参内あらうずるとのおんことにて候ふほどに。皆々おん供の用意を仕り候へ。その分心得候へ。心得候へ。」

2016年5月26日 | 記事URL

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